夜をてばなして

 夜は私たちの問題を払い除けるというよりも、むしろ明るみに出してくれる。(セネカ)

 

「っ!」
余裕そうな無表情が痛みに歪むとき、この男にも血が通っているのだと分かって安心する。けっして、その顔を拝むためにわざと背中へツメを立てている、なんて気持ちがあるわけではない。X・ドレークの方はというと、何度ベッドへ誘われても、一向に心の余裕なんてものが生まれる気配もなく、いつだってどぎまぎしていた。だから、まさに「藁をもつかむ」気持ちで、背中にすがりつき、あえぎあえぎ、抱きしめる背中を傷つけてしまう。むき出しの、ゆうに三十センチメートルを超えるアロサウルスの三本のかぎづめが、自分を好き勝手暴く男の背中に深く食い込むときの、痛そうに歪むかれの目つきと、息をのんで驚いたような声を低いあえぎを聞いて、ゾクッと気が付く。
めりめり……、と背中の肉を裂いて、人間はおろか、巨大な獣の屍さえ引き裂いていた恐竜の爪が食い込んでいるというのに、魔術師、バジル・ホーキンスは律動をやめない。またぐらに割り込んで、汗まみれになって濡れた金髪を、うっとうしそうにかき上げる。慌てて手指の変形をもとに戻し、背中をいたわるように撫でさすったドレークの手に、ぬろ……、とべったり血が付着した。
気持ちが高ぶり、自分を見失うと、ドレークの身体は無意識にフォルムチェンジしてしまう。爪がとがり、歯ぐきがむき出しになり、肉を裂く尖った歯がぎらぎらと光る。ハ、と気づいてもとに戻る。また快感に頭が真っ白になると、太もものあたりから鱗に覆われ始める……。尻へ異物をねじこまれ、絶頂するまでの過程でドレークはそのメタモルフォーゼを数回繰り返した。切れかかったランプが明滅するように、ドレークの身体はちかちかと、人間→恐竜のはざまで点滅するのだ。

これまでセックスと縁遠かった。セックス、はおろか、卑猥さを感じさせるほとんどすべてのものから縁遠かったのだ。だから、ドレークは自分が快楽の渦に飲まれると、ゾオン系能力の変形をコントロールしにくくなることを知らなかった。……そして、知ることができてよかった、と思ったのだ。相手がホーキンスであるうちに。
ホーキンスの方こそ、「痛い」という顔をするなら、自分だってフォルムチェンジができる男だ。体を藁に変えて、食い込む爪に合わせてほぐしてしまえば、皮膚が傷つくこともなかろうに。だが、ホーキンスは「生」の肉体でセックスすることを強く望んだ。はっきりそう言ったわけではないが、少なくとも、ドレークはなんとなく、ホーキンスはそうしたいのだろうと認識していた。
「んっ、あっ、……すまん……っ」
ぬろ、と手が滑って、血濡れの手のひらでぺたぺた魔術師の背を抱いた。傷つけた詫びのつもりだったが、ホーキンスは無反応だった。気にするな、とも、詫びるな、とも言わない。ただ咎めるように火照った目でドレークを見つめる。「興が削がれるだろう」という目つきで。

ズ……、と慎重に差し入れられた肉棒のぬくみが、めりめりと自分を開いていくのがわかる。腹の裏をごりごりつつくような感触。痛みと、快感の境目は案外あいまいだと知った。痛いのか気持ちいのか、ドレークにはわからなかった。たん、たん、とゆっくり尻たぶに腰をうちつけられるたび、押し出すように、自分の意志と関係なく「あっ、あっ」と声が出た。甘えて媚びる淫乱女みたいな、うるんだ悲鳴だ。押し殺そうとすると息苦しく、だんだん声なんて気にしている余裕もなくなって、過激に声を出し始める。
「アッ、あああっ、あ、う、うあっ、っく……!」
必死にあえいでいる最終も、じゃあ結局これは痛いのか気持ちいいのかはっきりしないまま、ぼやぼやと頭が白く濁り、スパークしてはじける。ホーキンスの腕にしがみついて、イクとか死ぬとかわめき始める。ホーキンスは、ふっ、ふっ、と荒い息遣いで、険しい山道を走るマラソンランナーのように、一定の呼吸を整えて、ただ駆けていく。ドレークがいくらわめこうが、一切無視だ。ストイックに、ある極点をつかまえようと駆ける。止まって、おかしくなる、やめろぉ、といくら訴えかけたって無駄だ。それまでスローに、ぬる……と抜いて、ぱんっ、と差し込む、いち、に、いち、に、のリズムの律動が、いちの連続になって、たんたんたんたんっと激しい速度で叩き、ドレークの尻たぶをたゆたわせた。いくらやめろと懇願してもやめない上、ドレークはこの地点まで来ると、自分が一体どのようになっているのか自覚も吹き飛んでしまうので、ぬるぬる流れていくホーキンスの血のことなど忘れ、必死に息をして、助けを求めるようにあえいだ。
「あーっ、あ、アッ、いく、いく、いく、ああっ、あー、いくっ! い、い、いいっ」
ベッド全体ががたがた音を立てて、激しく前後にゆすぶられ、ヘッドボードに手をつき、大股びらきのドレークの上から覆いかぶさってスタンプしていたホーキンスの身体が、ベッドへしなだれかかる。ドレークの身体を抱くように、ホーキンスは完全にドレークの上に体を重ねて、ヒイヒイ言っている男の頬や首筋、胸にキスをしながらわき目もふらず腰を振った。ホーキンスはラストスパートからゴールまでのスパンも長い。ドレークが短距離ランナーなら、ホーキンスはフルマラソンだ。最後の数メートルをスパートするドレークと違って、ホーキンスは、ラスト四百メートルでスパートをかける。だから、この時点で、ドレークはもう真っ白い精液を腹に吐き出し切って、あとはホーキンスが絶頂するまで、びゅく、びゅく、と絶え間なく空イキするしかない。このスパートが地獄だ。助けて、と命乞いさえするドレークが、シーツの上をかき乱す手を、ホーキンスはこの時になってようやく握る。優しく。指をゆっくり絡ませて、死にはしない、と囁くように。

平生から表情のない、それどころか性欲さえ皆無ではと思わせるホーキンスが、「出る」瞬間の顔を、ドレークはもう覚えてしまった。いつも何ともないような顔をして、誰にも内心を気取られぬ涼しい顔の男が、いま・まさに、「イった」な、という顔をするのを、ドレークはまんざらでもなく思っている。だいたいその時には、ドレークの方はイキすぎてぼんやりしている時分だが、「出すぞ」とうめいて、自分の中で果てるあの爆散する精子の熱と、頭上に垂れ下がる金糸のカーテンが、汗に濡れてしっとり束になっている様子、満足そうに目を細めて、うっとりと腰を反り、ハア、ハア、と体温のこもった息を吐くバジル・ホーキンスのあの顔は、なんとなくその一瞬をどうにかして切り取れやしないだろうかと思う程度には芸術的だった。
男の尻にチンポねじこんで、さんざん征服したのち発射した男の顔が芸術的とは、我ながら恐れ入る、とドレークはムッとくちびるを引き締め、自分が一体何のためにこのワノ国に来ていて、そして、なんのためにこの魔術師と寝たのかを、今一度かみしめた。そうでもしないと、なんの目的もないのにこうやって互いを慰めるために夜をともにしていることを、任務を超えた感情なのではと思ってしまいそうだった。

ホーキンスはしばらく抜かない。終わったあと、しばらくそのままでいる。とん、とん、と栓をしてなじませるかのように、たまに抜いたり入れたりしながら、息が整うまでドレークを見下ろしている。
「ぬ、抜け…………」
「せっかちだな」
ホーキンスはもう普段の顔に戻っているが、これもまた、ドレークには気恥ずかしかった。さっきまであんなにぐちゃぐちゃになって、もみくちゃに抱き合い、発情し合っていた男二人が、男であるゆえに仕方がないが、終わるとすっともとの顔に戻る。かれがどんなセックスをするのか、知ってしまって以来、ただの同業者として顔を合わせていたころにはもう戻れなかった。なんの関係もない仕事上の話をしているときでさえも、ドレークの脳裏にはホーキンスのあの「イった」ときの表情が浮かび、ホーキンスもそうだった。ドレークを見る目の奥に、お前の一番パーソナルな顔を知っている、という主張がいつも滲んでいた。
ホーキンスはゆっくりと、ドレークの尻から出て行って、ベッドにあぐらをかいた。ドレークは体を起こし、その上に乗った。はじめてかれとセックスしたとき、当然のように「掃除しろ」と言われたときはひと悶着あったが、何度もしているうち習慣になって、ドレークは言われなくとも、射精したあとの濡れたペニスをほおばる準備ができていた。
ホーキンスは歯に衣を着せぬ男で、最初は「へただな」とシンプルにそう評していたフェラチオを、いまはずいぶん上達して、好みの技を仕込んだ張本人として楽しんでいる。ドレークは、事後のフェラチオの強制を、支配の証としてホーキンスは意図的にやっていると思っていたが、そうではないことに気が付いてきた。かれはドレークが熱心にホーキンスのモノを掃除している最中、子猫をかわいがるような手つきで髪を撫でる。顎をくすぐり、口いっぱいにほおばったドレークの顔をみて、思い出したように笑う。口角が上がったか上がらないか微妙な程度の微少だが、いつもの顔とは違っていた。
愛情深い顔。これが別の相手ならそう思っただろう。だがホーキンス相手だと分からない。この男は底が見えないから、いまは油断させといてやれ、と強気な気持ちでいるしかない。
「もういいぞ」
ホーキンスが言えば、フェラチオをやめる。このころには幾分か調子が戻っているので、フン、と鼻を鳴らしてムスッとする。
「ここに出せ」
ホーキンスが差し出したちり紙に、うえ、と口の中いっぱいの精液を吐き出して、ホーキンスはそれを無感動にくずかごへ捨てる。ただのルーティンとして。はじめは、こんな仕打ちみじめで耐えがたい、口をゆすいでやれと盛大に冷水で吐き出していたのに、今は水差しから水をたっぷり注いだグラスで、一気に飲み干す。ちり紙の上に吐き出したのは全部じゃない。毎回、ちょっとだけ、飲んでおいてやりたいと思う。ホーキンスがそれに気づいているかどうかはわからない。

ホーキンスは裸を恥じない男だった。恥じる必要のない、彫刻じみたバランスのよい体つきで、尻のくぼみまで美しい。それにしても、裸のホーキンスは、服を着ているときと同じほど堂々としていて、惜しみなかった。
「ホーキンス」
髪をかき上げながら、極限まで落としていた部屋の光量を増やすため、船室に点々と置いてあるルームライトに光をともす彼を呼んだ。
「こっちに来い」
ホーキンスは無頓着な顔でドレークの方を向き、いくつか淡い色のランプに火を入れたあと、ベッドへ戻って来た。絶頂後のフェラチオと同じくらい、ルーティン化した行動だ。ずいぶん長い間沖に縛り付けられて、錨を下ろしたままでいるグラッジ・ドルフ号の船長室の、どこに何があるかもずいぶん覚えた。勝手にサイドテーブルの二段目の引き出しを開け、中からハーブの練り込まれた軟膏を取り出す。ホーキンスはドレークの前に座って、素直に背中を向け、髪を片側へ流して背中を晒した。

ムチャクチャにかきむしられた背中は、人の爪痕に、大きな恐竜の爪痕が混じっている。一か所、肉がえぐられたようなひっかき傷があって、自分がやったことながら痛々しかった。
アロサウルスが爪を立てた傷口へ、まずは冷たい手ぬぐいを当て、皮膚の熱をさました。消毒液を脱脂綿にしみこませて、あかあかと生々しい傷口を、日本刀の手入れをするようにとんとん……と優しく叩く。さすがのホーキンスでも、痛みからから、ヒクリと肌を震わせる。表情は変わらないが、身体は反射的に動くのだ。そのあと、ドレークは軟膏をたっぷり取って、割れた肌に塗りこんだ。この軟膏はワノ国で薬師から買ったと聞いた。効きがいいらしく、三日後にまたベッドをともにする際には、もうすっかりきれいな背中になっている。きちんと塗り込んだら、えぐられた部分にガーゼを当てて、傷をふさいだ。手当ては海軍にいたころ、みっちり叩き込まれた知識の一つだ。医者ほどではないが、軽い応急処置なら目をつぶっていてもできる。せっかくだから、と、情痕として残るふつうのひっかき傷へも軟膏を塗ろうと手を伸ばしたドレークに、ホーキンスが振り返った。
「そこには塗るな」
「……? なぜだ」
「それはケガではないからだ」
ホーキンスは軟膏を取り上げて、サイドテーブルへしまい込むと、血のしたたったシーツをどうするかはぎ取った。この男が毎回洗濯しているのか、部下の誰かがやっているのか知らないが、シーツは来るたびに真新しく、血のあとは消え去っている。ドレークは、まだらに傷跡が残るホーキンスの背中を見ないようにした。フン、と大量のクッションの山に埋もれて、ふかふかの羽毛布団を引っ張り上げた。
「何を照れてる」
「誰が! 照れてない」
「ならいいが。人の心配してる場合か」
ホーキンスはシーツをめくり、ドレークの身体をランプのぼんやりとした灯りの下で眺めた。ドレークも自分の体を見た。乳首のまわりにヒトの歯型がついていた。
「ッッッ貴様………!」
痕をつけられたことはこれまでもあった。鬱血が残った体をどうしてもドレークの普段着は隠すことができないために、「見えるところにつけるな」「つけてほしくないならおれにつけさせるな」という不毛な論争が彼らの間ではいまも終わらなかった。しかもホーキンスは日によってセックスへの情熱ポイントが変わる。この前までは、太もものあたり、絶対に見えない場所に情痕を残すことにこだわっていたが、今夜はぎりぎりの場所につけられていた。
「痕をつけるぞ、とおれは確認したが。いやなら嫌だと言うべきだったな」
「言った! はずだ」
「言ってない。あへあへ言うだけで」
「……ッ貴様……今に見ていろ……」
「乳首噛まれてぼんやりしてる貴様が悪い」
「なにをう」
もういい、明日はインナー着るぞ、と怒って背を向けたドレークに、ホーキンスの身体がにじり寄った。抱き合って寝るほど甘い空気ではないが、こつ、とぶつかったホーキンスの額を背中に感じて、ドレークはどきりと胸をくすぐられる。ホーキンスはホーキンスで、青黒く鬱血したキスマークを体中見えるところ全部につけられて、怒り狂ったドレークが、タートルネックを着込んで外へ出たことを思い出していた。普段インナーを着ない男が、突然そんな恰好をし始めたら人がどう思うか、気づかぬドレークが愉快でならなかった。
「お前がそんな恰好してるのが悪い」
「フン! 海賊なんざみんなこんな格好してるだろ」
彼らは眠りに落ちるぎりぎりのふちまで、くだらない言い合いを引っ張り続ける。
そして、並走しながら言い合いながら、歩いていた道が突然途切れて、すとんと崖下に落ちていくように、どちらからか、言葉を返さなくなって、ゆっくりと眠りに落ちていく。

朝になると、彼らはいつも向き合って眠っていた。ドレークは、夜の闇の中探し当てたホーキンスの身体を抱きしめ、たぐりよせて眠っていたことを恥じて飛び起き、ホーキンスは断続的に目を醒ましては、自分にしがみついて眠っている大きな男を見て、再びまぶたを閉じる。
背中の痛みは「生」の感触だ。
ホーキンスはこれを、誰にも肩代わりさせる気にはなれなかった。

〈了〉