へし切長谷部、出陣せよ!①

※経理部モブ女上司(前世は主)と部下の長谷部くん
※別部署の光忠が長谷部くんに一目ぼれしてはじまるみつどもえ
※女上司←♡長谷部くん描写ありますが、バッチリ燭へしにしかなりません

01. しずねの伊達男

 築地の路地にぽつねんと建つ、知る人ぞ知るのすし屋 「しずね」は夜9時からでも新規の客が絶えなかった。もし自分一人で来店していたなら、せせこましく値段を確かめながら、慎重に食べ進めただろう。でもそんな心配はいらない。
 相手の懐は潤沢だ。
 とりあえず二人まえ、とざっくばらんな注文にも、寿司下駄にはとりどりの逸品が乗ってきた。さすがツウな店を知っている。大将と顔見知りのようだし、数回通ったきりの店でもないらしかった。
「なんだ、おまえが女連れとは珍しい。ついに彼女かあ?」
嬉しそうな大将に、ここへ連れて来た張本人はぴしゃんとそっけない。
「ちがうよ。 取引相手だよ」
 取引相手とは上手に誤魔化したもんだ。でも確かに間違っちゃいない。 わたしをここに引っ張って(というか、寿司屋はわたしの提案だったが)来た男、燭台切光忠にとって、わたしは大事な交渉相手だと言えた。
燭台切光忠の彼女、なんて言われたこっちはたまったもんじゃない。なんたってこの男、世界がひっくり返るくらいの色男で、顔立ちにも、立ち振る舞いにも、一切の非の打ち所がない。現に今も、探るような女性客の視線があちこちから突き刺さっていた。値踏みされてるような、イヤ〜な気持ちで、「正しくは上司ですよ」と苦笑いした。
 燭台切光忠は、我が社でも花形の、企画部に所属する若者だ。わたしの所属する地味な経理部とは比べ物にならないくらい、若手が多く身綺麗な社員が多い。我が経理部ときたら、自社ビルの奥のまた奥にある上、電話があってもほとんど内線だが、それに対して華の企画部は、ガラス張りのフロアで外壁に沿うように、常に外からの視線を浴びながら(とはいえ十階だが)働いている。
 燭台切はそんな花形の中の花形、若くしていくつもプロジェクトを抱え、全社集会で何度も表彰されるような、顔も良ければ仕事もできる男だった。
「さ、好きなもの食べて」
「後から〈やっぱおごらない〉なんて言いっこナシよ 」
「やだな。 僕がそんなしょうもない男に見えるかい?」
 嫌味なほどに煌びやかな笑み。それでも爽やかに見えるほど、清々しいイケメンだ。嫉妬の情さえ蹴散らしてしまう。こんな男がねえ……と、わたしは赤貝のにぎりを口に放り込んだ。
「んっ……ま!」
「でしょう? ここ以上のお寿司は知らないよ」
 これがデートなら、もっと色気があったろうに。なんとなく残念にさえ思いながら、わたしは寿司下駄の上をつぎつぎ手につけていった。
 酒も進み、名物・とろタクを食べ終わるころにはお腹も膨れて来た。 わたしが満足した様子を見計らって、 燭台切はずずいと体を乗り出す。
「さあ、本題に入らせてもらうよ」
「んー、どうぞ」
 腹いっぱいの上酔いどれで、睡魔がちらついてきた。燭台切は「寝られちゃ困る」という厳しい顔で、ぐらぐら、と肩をゆすった。
「で、アンタ何が聞きたいの」
 くいっと焼酎を一口やって、我ながら悪どい顔だ。かくいうわたしも、女のはしくれ、寿司につられた風を装ってはいたが、燭台切のもちかけに興味津々だった。
「いろいろあるけど……まずは、長谷部くんって彼氏いるの?」
 いきなりの直球だ。なかなか度胸あるじゃねえの、なんて微笑んで、「彼氏いる男のが珍しいでしょ」と、まだまだ同性愛がマイノリティな世の中にため息をつく。
 経理部のへし切長谷部はわたしの部下だ。新卒からもう5年以上経つのだろうか。仕事は新卒の頃からデキるやつで、そのくせ口のきき方はなっちゃおらず、部署の上司には気を遣えても、他部署の凡骨には手厳しい男だった。 経理の長谷部は厄介だ、と他部署から敬遠され、仕事はできるがへんくつだ、と部内でも遠巻きな彼が、わたしの直属の部下になってから、あらゆる意味で目まぐるしい変化があった。
 それまで新人教育を担当していた、彼の二つ上の女性社員は、お世辞にも仕事が早い方じゃない。渡された仕事以上のことはしないし、低品質の仕事をすることには余念がない、つまるところ仕事のできない若手だった。新人の教育なんて新人がやるべき、という悪しき慣習と、入社してきた顔のいい新卒に食いついた彼女の意見が合致して、1ヶ月たっぷり教育係としてべったりひっついていた彼女が、 手のひら返して「あの新人反抗的です!」と言い出したのは3ヶ月後。独り立ちしてハッキリ仕事ができるようになった長谷部は、もう彼女の言うことを
聞かず、彼女の手には負えなくなっていた。
企画部に入れずあぶれた新卒か、やる気のない中途しか回されてこなかった経理部にとって、長谷部のような人材は珍しい。へそを曲げた女性社員が当時の部長に可愛がられていたせいもあって、長谷部は目に見えて部内の腫れ物になった。
 そんなとき、わたしに白羽の矢が立った。
 今日から君が教育係! なんて指名され、あれよあれよのうちに、わたしの下に長谷部が配属させられていた。はじめこそ、厄介な役回りだ、と緊張したけれど、それも杞憂に終わった。みなが直視していなかっただけで、長谷部は誰よりもはるかに仕事ができた。率直に長谷部の仕事ぶりを褒め、より効率の良いやり方を二人で生み出し、部内を改革し、無駄を省きながら、わたしたちはルーティン以上の仕事を生み出した。 長谷部はそういう働き方に生きがいを感じるタイプで、気づいた時には、長谷部は信じられないくらいわたしに懐いていた。
 部内を徹底改革した功績が認められ、滅多に全社集会で表彰なんてされたことのない経理部が、「タスクマネジメント部門」において最優秀の快挙となった。結果、わたしはその時の働きを認められ、定年を待って居座るだけだった部長の定年退職と同時に、新たな部長に昇格した。長谷部が目をキラキラさせて、わたしのことを「部長」と呼び始めたのはその時からだ。
「部長、来月決算の資料ですが……」
「部長、給与計算のことでお話が……」
「部長、請求書発行はすべて完了しています」
「部長、」
「部長!」
「部長……♡」
長谷部の語尾に「♡」がつきはじめたのはいつからだろう? ただならぬ彼の様子に気づいた頃には、彼は社内で「女領主・経理部部長の忠臣」と不名誉な呼ばわれ方をするほど、 わたしの忠実な犬と化していた。長谷部は気に病むどころか、社内の誰がどう言おうが一切気にならないようで、あからさまな侮蔑の笑いを浮かべ、
「言わせておきましょう。経理部は俺とあなた二人でもいいくらいですよ♡」
 と冗談めかしつつ、本気の目をしていた。

 そこで終わればよいものを、話はもう一波乱する。 そんな社内の評価を押し切って、わたしの前に颯爽と現れ、
「君に話があるんだ。 経理部長さん」
 不敵な様子で、喫煙所から出て来たわたしの前に立ち塞がったのが、 この燭台切光忠だった。

 全社集会で表彰される長谷部くんを見た時、一目惚れだった。
 あんな子がいるなんて、知らなかった自分を恥じたよ。
 君、彼とずいぶん仲が良さそうだけど……、僕のライバルってことになるのかな?

 体にいろんな人間のモクの匂いがしみついた状態で言い放たれた、あの宣戦布告を、わたしは生涯忘れないだろう。似たような歳だとはいえ、年上かつ肩書きとしても上のわたしを捕まえて、堂々とタメ口を聞くその根性と、予想の斜め上の口上に、怒りより好奇心が揺さぶられた。その時点でわたしの負けだった。
 あの日を境に、わたしには一生縁がないと思っていた企画部の人間、それも顔面偏差値超一流クラスの揺るぎないイケメンと、何度も食事をする仲になってしまったのだった。
「で、僕の質問に答えてよ。 長谷部くんは彼氏いるの?」
「ン〜〜、その情報は中トロクラスですなあ」
「もう! たらふく食べたくせに!」
渋々追加の中トロを注文し、出された二貫をゆっくり味わってから、わたしはたっぷり焦らしてようやく答える。 じれたイケメンの顔がおもしろくてたまらない。
「本人にそれとなく聞いてみたけど、いないって。いまのとこ。人とお付き合いすること自体に興味薄そうだし」
「本当? よかったあ〜〜」
 君って性格悪いよ、焦らしてさ、と胸を撫で下ろすイケメンは、「興味がなさそう」のくだりは無視して安心している。 そんな彼に、「長谷部って付き合ってる相手とかいないの?」と尋ねた時、「それは……、ついに俺をもらってくださるということですか、部長♡」と危うい迫られ方をしたことは伏せておく。
「燭台切は、長谷部のどこが好きなわけ?」
「え? それ聞くの? 向こう一週間喋り続けられるけど」
「あ、じゃあいいや」
 確かに長谷部も、あれだけ性格面でクセは強いものの、客観的に見ると燭台切に引けを取らぬ美形だ。けれど、それを霞ませるまでのあのとっつきづらさ。 燭台切のような、人生苦労したことのなさそうなイケメンの、最初にぶつかった壁が長谷部なのだろうかと思うと、人ごとだが、わくわくしてくる。
「じゃあさ、長谷部くんってお休みの日何してるのかな? 趣味とかは? 何か趣味があるなら僕もやってみようかな、話すきっかけになりそうし……」
「趣味は仕事だと思う。休みの日何してんのって聞いても何もしてませんとしか言わないし」
「何も? 長谷部くんってすごくストイックなんだね……♡」
 長谷部も長谷部だが、こっちはこっちで長谷部の話になると「♡」がつく。 幸せそうなので、「なぜ俺の休日の過ごし方など……? まさか、ついに俺と休日を過ごしてくださるおつもりになったのですか、部長♡」と返されたことも黙っておいた。後が怖そうだから。
 なんだか大いに拗れそうな予感を感じて、日本酒が進む。 自分が間にはさまれて、巻き込まれてややこしそうだということはおいといて、女らしく……なんて意識したことがないわたしにも、恋のうわさにやじ馬を走らせる、そんなところもあるみたいだった。
「よっしゃ、大将、寫楽ちょうだい」
「ねえ君まだ飲むの?」
 人の財布で飲む酒はうまいものだ。そういえば昔、燭台切に 「君にお金は貸さないからね」というような意味のことを言われた気がして、 ……いやでもそんな記憶やっぱりないな、と思い直し、築地の夜はふけていく。
 赤だしの香りがどことなくかおって、やっぱりしめは赤だしか、とときめいた。

へし切長谷部、出陣せよ

「部長、お話が」
 隣にぬうっと立つ人影に視線を上げる。珍しい声色だ。わたしに今声をかけてきた男は、声をかける相手がわたしとなると、あからさまなほどの媚びを含んだ妙に鼻につく声を出す。意図的にやっていることは知っているし、やつは上司への媚びを態度に出すことを恥ずかしいとは思わない性質だった。どちらかといえば、あからさますぎる態度でようやく、相手にちゃんと伝わるのだと信じている。もとより、コミュニケーションべたなのだ。そんな男が、今日はいやに高圧的な口調だ。かつて彼の指導役をしていた女子社員が聞き耳を立てているのがわかった。あまりに不出来な社員なので、我が経理部に入ってきたばかりの彼にわずか数日で見切りをつけられたせいで、彼女はなにかと彼を目の敵にするが、その実、態度は悪くとも顔はグンバツにいい彼を諦められないでもいるのだ。
「なに、長谷部。仕事の用事?」
「いいえ。個人的な話です。お時間よろしければ」
「珍しいね。別室行こうか?」
 作業を中断してわたしが顔を上げると、長谷部……、経理部三年目になる若手社員、へし切長谷部はにっこり笑った。とろけるような最上の愛想笑いだ。心の底からにっこりしてくれているのだろうし、視線に熱を感じるが、どうも腹の底が見えぬ目つきだとわたしは思っている。
「お忙しいでしょうからここで構いません。手短かに済みます」
「あ、そう。じゃあ聞こうか」
 長谷部には断定的な言い回しが向いている。遠回りに言えば言うほど、長谷部まで遠回りさせてしまうことは、性格を見ていればすぐ分かった。威圧的とも思えるほどそっけないわたしの話し方のせいで、不名誉にも長谷部は社内で「経理部女部長のイヌ」とすら言われている。失礼な話だ。
「部長。……企画部の燭台切とはどのような間柄なのです?」
 彼がもし腰に刀でも挿していたら、柄に手を当ててさえいたはずだ。わたしは内心「めんどくさいことになったぞ」と思いながら、片眉をチョット上げるだけに留められた。
「長谷部に関係あるかな?」
 咄嗟のアドリブで、百点満点の返しをしたわたしは我ながら素晴らしい。次はカニを奢ってもらってしかるべきだ。……わたしがニヤニヤを必死に堪えているのも知らず、長谷部はカアッと額まで赤くした。憤慨と、怒り、嫉妬の赤みだ。
「関係ありませんが……知りたいのです」
「わたしは教えたくないよ」
「なぜ?」
「個人的なことだから」
「俺は…………」
 長谷部は真っ赤になって震えながら、更に言い募ろうとしたが、すんでのところで飲み込んだ。
「……失礼しました。出過ぎた質問でした」
「ん。ああ、ついでで悪いけど、これよろしく」
 気楽に言って、追加の書類を手渡した。長谷部がこんな質問をしてきたのは、手持ちの仕事がなくなったからだ。長谷部は恭しく受け取り、もう一つ付け足した。
「……もう一つ、質問が」
「なに?」
 頭にはカニのイメージが膨らんでいる。
「あの男と食事に行っているのですか? 何度も」
「…………情報源は?」
 たっぷり五秒溜めて、パソコンの液晶に目を向けたまま尋ねた。長谷部はもごもご口ごもりながら、
「あ、……いえ。低俗な噂です。食堂で、その……」
 言葉をつまらせる長谷部がさすがにかわいそうになってきた。自分に好意を持ってくれている男に冷たくするのは、いつの日もつらいものだ。
「長谷部が噂なんかを気にするなんてね」
「ええ……。おっしゃりたいことは分かります。申し訳ありません。忘れてください」
 もはや長谷部は青ざめ始めた。自分の支離滅裂な発言が、わたしをがっかりさせているのではと不安なのだろう。さっきまでの自信満々な様子はもうどこにもない。踵を返そうとする長谷部を、わたしは引き止めた。
「噂は本当だよ、長谷部。他に質問は?」
「…………!」
 長谷部の目の奥にぎらついた炎を見て、わたしは勝利(=カニ)を確信した。長谷部はカッとまた赤くなり、拳を握り、くちびるを引き結んだ。彼は怒りに燃えていた。
「……いえ。仕事に戻ります」
 長谷部が無言で席に着くと、女子社員が猛然とした勢いで携帯を弄っているのが見える。多分同期の噂好き女子にメッセージでも送っているのだろう。わたしは見ないふりをして(何しろ騒ぎは大きい方がいい)、自分も手元の携帯から、燭台切光忠にメッセージした。

「作戦成功。近日中に対象が貴殿に接近すること間違いなし。激昂しているだろうがうまくやるように。報酬はカニで」
 返事はすぐ返ってきた。定時をもう30分過ぎていた。
「オーケー。カニは僕と長谷部くんが無事接触してからね」
 チラ、と無心で仕事している長谷部を見て、わたしはこう打ち込んだ。
「ケチ!」

   〈続〉