キドロ短編つめ #01 - 1/6

1:Neon … 現代/大喧嘩する恋人キドロ
2:終わりにしよう、今日かぎり … 大学生/モブ女あり
3:ストレイ・シープ … 楽器屋のキッドと楽器なんてミリもできないがキッド目当てで通っているロー
4:サウスの悪魔 … 海賊/人間の女を食べてるキッド
5:予定調和 … 学生キドロ
6:sweetness and light,甘美と光明,温和と理性
  … 現代(転生)、無意識に海へ行きたがるキドロ

 * * *

 久しぶりの遠出だった。メシでも喰いに行こうという会話の流れで決まった、計画性の欠片も見当たらない小規模な遠出ではあったが、こうして突発的に決めて出かけることが格段に減ってしまった今、心底うれしかったし、楽しみだったのだ。浮き足立ってすらいるように、そうか、明日だな、ユースタス屋とメシ喰いに行くの。ふとした瞬間にそう考えた。ローが大学院で研究を続け、学生としてのモラトリアムの中に未だ居座っている間に、キッドはもう随分大人になって、社会人らしい言葉遣いをするようになった。ローと二人になれば、かつて彼らが使っていたような乱暴な口調に戻ってしまってはいたが、キッドはローよりも先に、「子ども」という一つの段階から抜け出したようだった。電話口に向かって丁寧に言葉を遣い、たまに砕けた口調で上司らしき人間と会話しているキッドのことを、遠くなったとも思うし、そのせいで更に好きにもなった。
 大学院、忙しいのか? ハンドルを切りながら、そう問いかけられた。冬になり、日の暮れるのが早くなった町並みは、夕刻だというのにもう薄紅色の垂れ幕がかかり、オフィスビルや店々から漏れる明るい照明の色が色とりどりに窓へ反射して、キッドの頬をそっと照らしていた。や、別に。そうでもねェよ。とローは正直にそう答える。もう就職先も決まっていたし、あとはゆっくりと卒業論文を書いて、卒業研究をやり終えれば、自分のこの安らかなモラトリアムも終わってしまうのだ。ユースタス屋は? そう尋ねると、キッドもローと同じようなことを返事した。別に、忙しくもヒマでもねェ感じだな……。
 「この前、駅前にでっかいショッピングビルできただろ」
 「あー、確か。おれまだ行ったことねェけど」
 「アレに系統の似たようなライバル店が結構入ってきたから、まァまァ忙しいけどな」
 「へェ。大変だな、どの企業も……」
 ドリンクホルダーからメイプルティを取り出して一口飲み、ローは何気なく、備え付けのオーディオに指を伸ばす。一気にCDが十枚入るというかなり本格的なオーディオで、音質も非常にいい。明らかにキッドがここにこだわってこの車を買ったことは明らかだった。ダッシュボードの部分は木目のある素材でやわらかくコーディングしてあり、木造りにも見える外観がどことなくシックで洒落ている。昔はバイクの好きな男で、よく改造して喜んでいたが、今はどうやら車に熱を上げているらしい。そこここに彼のこだわっている部分が垣間見えていた。ただ、そのバランスのよい美観を損ねているのが、バックミラーにぶら下がっている歯を剥いた白クマのキーホルダーだ。大きめのぬいぐるみがついているそのキーホルダーの、敬礼ポーズをとっている白クマは、彼らがつるんでいた高校時代に、ローがキッドのためにゲームセンターで取ってやった最初のプレゼントであった。捨てるからこんなモンいらねェ、とあれだけ豪語していた男は、まだそのキーホルダーを持ったままで、その上あろうことか車内にぶら下げている。車に乗っている時間が一番好きだというキッドの言葉を反芻して、ローは今なら幸福に酔いしれても良かろうと思わず含み笑いをもらしてしまった。
 都心から離れてゆく車は、段々と静かな坂道に入っていく。坂の上に広大なテニスコートがあり、そこの近くにあるレストランが美味しいのだという。テニススクールに通う人々がよく利用しているらしいが、そのスクール生とキッドが知り合いで、一度行ってみろと勧められたと言っていた。パスタとグリル料理が盛んで、白ワインにこだわっている店だという。
 バックミラーにぶら下がっている懐かしいキャラクターを眺めていると、後部座席に置いてある大きな紙袋が目に入った。キッドが働いているメンズファッションブランドのロゴが印刷された、大きな黒いショッパーである。仕事のやつ? と聞くと、キッドはちらとバックミラーごしに背後を見て、アァあれな、と信号待ちの間に紙袋へ手を伸ばした。ショッパーの中には何着か衣服が詰め込まれていて、そのブランド特有の、黒を基調としたアシンメトリーの形が多いカーディガンや、ジャケット、トップス、ストールなどが入れられていて、ビニールの袋に包まれたそれらには、「B品」と赤いラベルが貼り付けてあった。
 「テメェにやるよ、これ」
 「え? これ全部?」
 「アァ。うちの商品だけど、ほつれだのタグが外れてるだのあって、状態不良で売れねェやつだ。着る分にはほとんど目立たねェし、サイズSだからお前ちょうどいいだろ」
 「ユースタス屋サイズ合わねェもんな」
 「うるせー、おれはもう合うやつは貰ってんだよ、サイズSなんか着るようなほっせェヤツがいたなァと思ってテメェにやるんだろうが、ありがたく思えよ」
 「このジャケットいいな」
 「だろ? 新作だからな。お前それ着るときちゃんとウチのだって宣伝しとけよ」
 大きなショッパーを後部座席に戻して、悪ィな。と礼を言った。キッドは特にいいことをしたという気持ちもないようで、かかっていたDEATH GAZEを勝手に変えようとしたローの手を払った。車が動き出すと、片手間にローの手をどけようとしていたが、そのうち諦めて、車内にサイレントヒル2のサウンドトラックがかかるのも黙認するようになった。サイレントヒルシリーズの大きなサントラボックスを持ち込んだのはローだった。キッドの車に乗るのはこれで三度目だが、ローは一度目に乗ったとき、このサントラボックスを車内にあずけて行った。キッドはそれを片付けも、つき返しもしない。ミラーからぶら下がっている白クマを捨てることもしない。ローにはそれがうれしかった。キッドも無論、それがうれしかったのだ。
 「どこの?」
 「あれ、見えるだろ? テニスコートがあれで……」
 「あー、見えた見えた。あんなとこにテニスコートあるんだな」
 「照明あるからナイターとか出来て結構設備いいらしいぞ」
 「へェ……おれもテニスしようかな」
 「テメェはやめとけ、卓球とかクソ下手だっただろ。ラケット使う系はやめとけ」
 「バドミントンは得意だ」
 ローはどこか得意げにそう言った。

 ***

 どこで話が歪んだのか、食事を終えて車に乗るまでは非常に平和で、話も弾んだのに、帰り道になって彼らは唐突に険悪になった。引き金になったのはどちらからともなく相手に言った言葉で、それはどちらが切り出したというわけでもなく、ふと自然に出てしまった悪態が、お互いに跳ね返って段々肥大し、お互いの最も言われたくない「最悪の地点」に踏み込んでしまったことが原因だった。
 何度もこういうことは過去にあったのだが、久しぶりに会った日にこんな雰囲気になってしまうことは無論だが歓迎できない。無音の車内でじっと押し黙ったまま、会話もなく、二人は彫刻のように口を閉ざしたままでいた。次の信号を右折。ローは道順をぼんやり思い返しながら、何か言おうと口を開いてみる。けれど、何一つ言うべき言葉も見当たらず、バックミラー越しにちらと見た隣の赤毛は、ぎゅっと頑なに唇を結んだまま、いつも以上に険悪な顔つきだった。おれが謝ることでもないはずだ。ローは腕を組んで不機嫌そうにシートに沈み、視線を窓の外に向ける。何であんなことを言ってしまったんだろうという後悔はこのときにはまだ起こらない。家に帰って、頭を冷やすためにぬるい湯でシャワーを浴びるとき、後悔というものは一気になだれ込んでくるのが常なのだった。
 そんな来るべき後悔の存在を頭の中では理解しながら、それでもローは何も言おうとしない。キッドの方も、それは同じことだ。二人は昔からこうだった。我が強く、思ったことを言葉にできるほど素直にもできていないため、どちらも決して譲らない。無音の車内を何と思ったのか、キッドは手を伸ばし、オーディオのスイッチを入れた。先ほどまでかけていたサイレントヒルのサウンドトラックから、「Room of Angel」が流れ出したが、その重く寂しい曲は、この状態を輪をかけて悪化させるばかりだった。一度つけてしまったものを、もう一度消したり、曲を変えたりするのも億劫らしく、キッドはチラと点滅するオーディオの画面と曲名を見ただけで、それ以上この空気を変える努力はしそうにもない。きらきらとネオンは点滅する。きらびやかな都会の紫色に、ローは目を細めた。何か言おう。そう努力した。
 「……次の信号で降りる」
 搾り出したそのセリフもおそらく間違いだ。キッドの不機嫌に拍車をかけるような言い方しかできなかった。キッドは前を睨んだまま、何でだよ、とだけ問う。ここからローの家まで、到底歩いて帰ることのできる距離ではないし、次の信号というともう目の前だった。
 「歩いて帰るから」
 「無理だろ。車でも二十分はかかるぞ」
 「タク拾うから、いい」
 「おれには送ってほしくねェって?」
 「誰がンなこと言ったんだよ。つっかかンな」
 「どっちがつっかかって来てやがんだ、あてつけみてェなこといいやがって」
 「お前こそあてつけみてェな態度ばっか取ってるだろ」
 「るせェ、黙って乗っとけ!」
 「お前のそういうとこが嫌ェなんだよ!」
 収まっていた怒りの熱が込みあがり、また語調が荒くなった。オーディオからの音楽をかき消すほどに声は大きくなり、赤信号で車が停車すると、シートベルトを外してローはキッドが何か言うのを遮り、疾風の如く車を飛び出して、荷物だけ持って外へ出た。バタンと力任せに車のドアをしめると、キッドが窓を開けて何か言うが、それも聞こえない。ローはじりじりと胃に焼きつくような怒りのまま歩道へ抜け、凶悪とも言える光のいろで輝く国道沿いの長い道を早足に歩いた。キッドの方は、チッと一つ舌打ちをすると、イライラと信号が青に変わるのを待ち、遠くなっていくローの後姿を見ないようにした。勝手にやっとけ、クソが、とオーディオの電源を切り、また車内は無音になる。五枚組みのサウンドトラックが目に入り、そうして、後部座席に置いたままの、Sサイズばかり詰め込んだロゴいりのショッパーにも目をやった。何を見ても今のキッドには憎たらしかった。店に出たB品の、Sサイズばかり探し出して、アイツならコレ着れそうだな、とか、アイツにはこれは似合わねェな、などと考えながらショッパーに詰め込んでいたときは、もっと素直にローのことを考えていたはずだ。信号が青に変わり、車を走らせると、ひしゃげたシガレットケースからいつもは吸わない煙草を一本抜き出して、ジッポライターで火をつけた。ミラーにぶら下がっている白クマと同じキャラクターのスワロフスキーが銀色のジッポに刻印されている。これもアイツにもらったやつだな、とキッドはまた憎々しげにローの顔を思い出し、空っぽの助手席にも目をやった。
 キッドが煙草を吸うのは、決まって気持ちがマイナスの方向へ向かったときだった。窓を薄く開け、冷たい風が吹き込んでくるのもお構いなく煙草を吸う。車の流れに沿って、煙は後方へ、窓の向こうへ吸い寄せられるように流れていく。ローは小道に入ってしまったらしく、国道沿いにはもういなかった。このまま放置するのもキッドの性質として許せないが、すぐに自分から折れるのも嫌だった。キッドは無意味にあちこち走りまわって、何度も同じ場所へ戻ってきた挙句に、コンビニの駐車場に車を止めてローへ電話を入れた。喧嘩をして、ローから折れたことが一度もないことを考えて、このままにしておくとアイツは本当に歩いて帰ろうとするだろうから、と思ったのである。
 長い着信のあとローが出た。不機嫌そうな声で、「ん」とだけ言う。憎たらしいヤツだと思ったが、キッドはもうむきになってフっかける気分でもなかった。
 「今どこにいる」
 「んー……パチ屋の前、結構デカいやつ」
 「B-1か」
 「あァ、それ」
 「ンなとこまで歩いてったのかよ」
 「まァ」
 「……待っとけ。拾うから」
 「……ん」
 乗るのを拒否されることを想定はしていたが、そんなことにもならず、ローの方ももう大分怒りが鎮火してきていることは明らかだった。彼らはいつもそうで、くだらないことで口論しては、すぐお互いに怒りを抑えて、また何事もなかったかのようにつるんだ。昔は口論に殴り合いが加わっていたのだから、大人になったのだなと痛感する。キッドは車を出し、B-1と大きくネオンサインのある場所まで向かった。ローは駐車場の植え込みに座ってじっと携帯の画面を眺めていた。
 「乗れ」
 車を寄せて、声をかけると、ローは無言でキッドの方を見て、無言でドアを開けた。どさりとシートにすわり、シートベルトをかけながら、ローはくんと鼻を動かして、「お前煙草吸った?」と問いかける。まァな、とキッドが答えると、納得したようにそれ以上聞かない。不機嫌になると煙草を吸うというキッドの悪癖はよく知っているローだった。その上、キッドは車に臭いがつくといって、よっぽどのことがないと車内で煙草を吸うのは普段は控えているような男だったのだ。
 今度はローがオーディオをつけようとした。けれどもキッドがそれを止めた。やめとけよ、またあんな暗い曲かけんのかよ、とそう言う。言い方には棘があったが、もう嫌みったらしさは消えている。ローはへへ、と漸く頬を緩めて、ラジオにしよう、とFMのスイッチを入れた。

 ――FM802、ミュージックナイト、今日も寒いですね。寒い日にぴったりのチューンからお送りしましょう、L’Arc~en~Cielで、「winter fall」!

終 (11’11.13 ネオン)