クラウドケーキはずんでる

(一)甘党の男

 新しい部屋。新しい体。新しい世界に降り立ってまだ数分のへし切長谷部の前に仁王立ちして、「貴様の面倒はしばらく俺が見ることになった」と厳しい顔を向けたのは、長谷部とまったく同じ顔をした男であった。
「オンザジョブトレーニングというやつだな。貴様と同個体の俺が面倒を見るのが一番いいだろうという主の的確な采配だ。分からんことがあればすぐに聞け。俺と同じ頭だからよくわかると思うが、主の命にすべてを尽くせよ」
「おんざ……?」
 頭にクエスチョンマークを浮かべた新入りに一瞥もくれず、さァ本丸を案内してやる、と一振り目の長谷部はずんずん前を行き、二振り目の長谷部をしょっぴくようにして歩いた。長谷部同士、あの主一辺倒のむつかしい性格なのだから、ぶつかり合うのではないかと当初は不安視されていたようだったが、そこは同じ顔を持つ男だからなのか、かえって他の刀に指導されるより肩肘張ることもなく、何でも躊躇なく尋ねることが出来たと二振り目は感じている。一振り目は話のわかるやつで、「自分ならこうされると嫌だ」というプライドの高い自分を自覚して、みなに隠すべきところは隠し、おおっぴらにするところはして、二振り目の長谷部がプライドを損ねたり自信を失うようなことがないよう根回しに余念がなかった。
「長谷部くんは〝ああ〟だから、初めは心配してたんだけど、仲良さそうでよかったよ」
 安心した様子でしみじみとそうこぼしたのは燭台切光忠といって、彼も本丸では長い。長谷部とはまた性質の違う親切さでよく二振り目の長谷部を気にし、手を貸してくれた。決して気やすい男だとは言えない一振り目とも互いに遠慮なくズバズバ物を言うような関係で、彼ら二振りは「気色悪いからやめろ」というが、新入りである長谷部から見ても仲が良いように見える。
「俺のことは俺が一番よくわかってるというのは真理だな。基本的に俺は指導されるのが好きじゃないが、相手が俺だから気にならなかった」
「あはは。指導されるのが好きじゃない、なんて、君って正直だね。でもね……。長谷部くんはあれで、最初苦労したんだよ」
 聞けば、一振り目の長谷部は本丸に顕現した当初、あれこれ一人でから回る性質で、なかなか刀同士心を開こうとしなかったそうである。そのせいで、みなの輪に交じることができない場面もあった。みなが誘っても長谷部は寄らなかった。「よっぽど伽羅ちゃんより一匹狼だった」と燭台切が笑うほどで、その時自分がした苦労があるから、二振り目の世話に余念がないのかもしれないと燭台切は推察しているようである。
「やつの世話は誰がしてたんだ」
「ウーン、あのときは世話係とか、そういう概念もあんまりなくてね。各自で覚えるとか、そういう感じだった。とても手が足りなかったし」
 言いながら、燭台切は混ぜ終えたふわふわのメレンゲに砂糖とコーンスターチを加えていく。何を作るんだ、と興味津々で覗き込んでいる長谷部に、燭台切は「クラウドケーキだよ。ふかふかで、雲みたいな食感なんだ。苺がたくさん獲れたからそれを乗せて……」と説明をしてくれた。大きなボウルにいくつもメレンゲを作って、それらをオーブン用のバットに乗せていき、余ったメレンゲが残るボウルをじっと見ている長谷部に、燭台切が甘い顔をした。
「おいしそう?」
「ウ……甘いのか? これは」
「甘いよ。味見してみるかい」
「いいのか」
 どうぞ、と燭台切はボウルを差し出して、長谷部はそれを抱え持つ。ひとすくい、遠慮なく食べると、甘くて口の中でふわっと消えてしまう。フム、と思慮深げな声をわざとらしく出して、「俺はいまこの得体の知れないものの味見をしているだけですよ」という顔で、長谷部は三回も食べた。そして、
「うまい」
 とたまらずそう言った。
 
 二振り目の長谷部は特筆すべき甘党だった。一振り目の長谷部が甘いものをそこまで好まないということもあって、これまで作っても作っても邪険にしていた男と同じ顔の男がうまいうまいと甘味を食うのが面白いのか、燭台切はせっせと甘いものを作った。この本丸にはふだんからおやつが出る習慣があったが、二振り目の長谷部が来てからいよいよ燭台切のお菓子作りに火がついたらしかった。
 一振り目の長谷部はたいてい二口も食うと飽きて、さすがにこれまで出されたものを残すという無礼はしていなかったらしいが、隣に同じ顔の甘党がいるのをいいことに、自分が満足すると残りを二振り目にやってしまう。なので、二振り目は毎度一と半人分にありつけて、やはりこいつがオンザなんとかでよかった、と思うのである。

「メレンゲ、おいしかったんなら残りは食べていいよ。ちょっとお行儀悪いけどね」
「本当か? これ全部?」
 どさっ、と目の前に並んだメレンゲののこるボウルを前にして、長谷部はうっかり目を輝かせる。木べらをせっせと動かしてボウルごとのメレンゲを食べている長谷部の横で、燭台切は嬉しそうにクラウドケーキとやらをつくって忙しかった。

 長谷部の甘党ぶりには恐れ入る。本丸随一の甘党である包丁藤四郎や、和菓子大好き三日月宗近、現世の流行スイーツになぜか誰より詳しい太郎太刀、お供えのお菓子を食べないよう忍耐が必要な「掃除機」と名高い石切丸でさえ、「あんまりおいしそうに食べるので」と人よりたくさん長谷部が甘いものを食べるのを微笑ましく、ともすれば自分の持っている菓子をひとくち勧めるほどのものである。包丁などは大人の顔で、「二振り目の長谷部は俺より遅くに本丸に来たし、まだお菓子をみんなより食べられてないんだもんなぁ」と思案して、長考の末長谷部に大きめにカットされたケーキを配膳する気持ちさえ持っていた。
「あ、でも一振り目の長谷部くんには内緒だよ」
「なぜだ?」
「バレると"あいつをブタにするつもりか"ってすごく怒るんだ」
「失敬な。ちゃんと他で節制してる」
 フン、と鼻を鳴らした長谷部に、燭台切は楽しそうに笑った。もう三つ目のボウルのメレンゲをこそぎ落としている二振り目の長谷部は、溶けていく甘さを堪能して頬いっぱいにメレンゲを押し込んでいる。誰かに見つかる前にたいらげてしまわねば。最近では三日月も包丁も太郎太刀も石切丸も「もう十分食ったろう」と思っているのか譲ってくれることが減ってきたし、こんな大量のメレンゲを見られたら、一つくらい寄越せと言ってくるはずだ。長谷部はまだまだ、彼らに比べれば、甘いものについては遅れを取り戻せていないと考えていた。
「焼けるまでどのくらいだ?」
「一時間くらいだよ」
「なるほど」
 なるほど、なんて言いながら、長谷部の目はオーブンの中のふわふわのメレンゲのかたまりしかうつっていない。燭台切はにっこり目を細めて、「さ、苺とラズベリーを下ごしらえするから手伝ってくれるかい。山ほどあるんだ。なんてったって八十人前だからね」とメレンゲのボウルを取り上げる。残りのメレンゲも食べなくてはならないし、こういう窮地に立たされた時の長谷部の仕事の速さといったら目を見張るものがある。腕まくりして、よしさっさと始めるぞ、と長谷部はやっぱり残りのメレンゲのことしか頭にないようだった。

(二)料理好きの男

 燭台切光忠といえば炊事場である。そう定着するのも早かった。まだ出来上がったばかりの本丸において、ぽろりと「料理は楽しそうだ」とこぼしたせいで、体だけは育ち盛りの男の体をもらい、食べ盛りの男たちを抱えた本丸の炊事場を右往左往していた歌仙兼定は、前の主の影響で料理に興味を持っていた燭台切をさっそく炊事場に連れ込んだ。お料理、というとなんだか優雅だが、本丸の炊事場はさながら定食屋の厨房で、効率と時短が同時に求められる戦場である。額に汗をかきながら、二人で切り盛りしていたころがいまは懐かしい。刀の数も増え、力もつけてきた今の本丸では、それぞれに時間的な余裕もできたから、随分前に炊事は当番制に変わった。やや寂しさもあったが、以前に比べずっと仕事の減って余裕のある燭台切が、つい一年前、本丸に設置したのが「おやつ目安箱」である。
 作って欲しいおやつを目安箱に投じて、燭台切の気の向くままにリクエストに応えていく目安箱だ。票が多いほど優先される傾向を知られ、一時期現世で大流行したらしい「タピオカ」の存在を嗅ぎつけた太郎太刀による組織票で、先月は満場一致のタピオカだった。わざわざ現世のタピオカ屋まで視察しに行ったほどだ。たまたま現世に用事のある主に強引について行くことになり、主は当惑していたが気にしてもいられない。当然太郎太刀もついて来たがり、珍しい組み合わせだとからかわれながらも、二人は東京も原宿、タピオカ屋が数メートルおきに点在する大都会を女子高生に紛れてタピオカ屋を襲撃、背後に並んだ女子たちに「YouTuberじゃない?」と囁かれても気にしなかった。
 定番のタピオカミルクティーは、アッサムの茶葉を使った甘さ控えめ、ミルクで煮出したロイヤルミルクティーだ。黒糖で戻したタピオカの甘さとマッチして甘いものが苦手な刀にもこれは好評だった。デザートはタピオカの入ったほうじ茶プリン。和菓子の好きな三日月が気に入って、その後も何度も目安箱にリクエストが入っているから、もう一度作ってあげないとと思っている。当然太郎太刀に抱きこまれて組織的投票に加担した二振り目の長谷部は、珍しく喉が乾いていたのかズズズッと五秒でタピオカミルクティーを飲み干した一振り目の長谷部にがっかりした顔を見せていた。
 その「タピオカの日」のあと、まだたくさんあるタピオカをどう使ったものかと思案した燭台切が、遠征へ行く第二、第三部隊の弁当としてサンドイッチ(厚焼き卵焼きの、大きいやつだ)を作り、水筒の中身をタピオカミルクティーにすることにした。わざわざタピオカの吸える太さのストローをつけて、その日は第四部隊で出陣だったせいでタピオカミルクティーにありつけなかった長谷部が「俺たちにはないのか」と詰め寄ってくるのも嬉しかった。(一振り目の長谷部に、「出陣に水筒なんざ持っていくバカがいるか、飲みたいなら斬った敵の血でも飲んでろ」と叱責されていた)

 やや高難度の任務に携わることになり、出陣でさぞ疲れているだろう二振り目のために、帰ってくる頃を見計って、部屋にタピオカミルクティーとクッキーを置いておいてやるのも忘れない。二振り目の長谷部が来てから、燭台切のお菓子作りには磨きがかかった。あんなにおいしそうに、綺麗に平らげてくれるなら、こっちも作りがいがあるというものだ、と燭台切は、長谷部、博多、日本号のデフォルメされたまるい顔の形にアイシングしたクッキーを並べた小皿を置いて、ひっそり彼の部屋を出る。

 同じ顔をしていても、こんなに差が出るもなのか。初めて「二振り目」というものを育成することになり、丸ごと一部隊分顕現されたうちの一振りが長谷部だった。同時期に同じく切磋琢磨する仲間がいたからか、それとも一振り目の長谷部のサポートが彼によく合ったからか、二振り目の長谷部は懸念されたよりすんなり本丸になじんだ。彼ら長谷部二振りはよく似ていて、気も合うらしい。だが、彼ら二振りが決定的に違うのは、彼らの「味覚」であった。
 
 一振り目の長谷部は、特筆すべき「味覚音痴」であった。美味しいものは「美味しい」と言う素直さはあれども、彼が「うまい」「また食べたい」と夢中になるものには少しクセがある。彼は人工甘味料のドぎつい味が大好きで、本丸中妙な顔をして好まなかった舶来品のコーラ味のグミだの、「土の味がする」と名高いレモン味の炭酸飲料だの、本丸の八割以上に敬遠され、残り二割も「不味くはないが何度も食べたくはない」と評されがちな食べ物や飲み物をなぜか好む傾向にあった。本丸の冷蔵庫の一角に並んだ「ドクターペッパー」とかいう真っ赤な缶は長谷部だけが消費しており、二振り目の長谷部は一口飲んで「バケツをくれ」と言ったほどである。
 そんな長谷部なので、燭台切の作った料理を食べはしても、一番のお気に入りにはしてくれない。燭台切の方は、気持ちを込めて作ったせっかくの手料理が、謎の着色料をねりねりしてつくる知育菓子(Let’sクッキンパン屋さんとかいうわけのわからない名前だった)に負けているのが悔しくないわけがない。真剣な顔で戦績結果の報告書をまとめている長谷部の手元に「カラフルお絵かきグミ」なる知育菓子とドクターペッパーの缶が置いてあったときは頭を掻き毟りたくなったほどである。そんな一振り目の長谷部のせいで、二振り目の長谷部が見せる、甘いものを食べている際の幸福そうな顔は、いよいよ際立って見えた。

 あっというまに月日が過ぎてしまった、と、燭台切は時折、ふっと寂しくなることがある。まだ小ぢんまりと小さく、各自の部屋なんてなくて、大広間で雑魚寝をしていたころが懐かしい。あのころは、まだ庭の畑も小さなもので、トマトときゅうり、なすびの三種類しか野菜を育てていなかった。それがどんどん拡張されて、いまや裏の畑は山のふもとまで広がり、稲穂がさわさわと揺れている。二振り目の受け入れが決まるのも頷けるほどの規模だった。ほとんどの刀がすっかり育成の最終段階までを終えられて、戦場は「挑戦」の場ではなく、「鎮圧」の場になっている。
 戻りたいか、というと、そうは思わない。長く本丸にいたからこそ、さまざまな刀たちと仲間として出会うことができた。いざこざだってあったけれど、それももう覚えていないくらいだ。長谷部がはじめて本丸に来た時も……。
 いや。
 彼が来た時のことは、いざこざも含めて、忘れられないだろう。燭台切はそう思っている。

 長谷部がやってくるのは燭台切より遅かった。当時、刀の数も少なく、育成なんていっちょまえな制度もなかった本丸において、顕現した刀は各個人でなんとかやる、分からないことがあれば別の刀に随時尋ねる、というふうにしていた。燭台切も、料理の仕方はもちろん、風呂の入り方や服の着方、その他あらゆる生活に必要な諸知識は、なんとなく付喪神として知っていたこともあったが、知らないことに関しては何でも別の者に聞き、まねぶことで覚えていった。初期刀である山姥切に、君はどうやって覚えたのかと尋ねると、彼は「主の真似をした。人間のふりをするには人間をまねるのが一番いい」と当然のようにそう言って、「なるほど」と目から鱗が落ちる思いだったことを覚えている。
 そんな中、へし切長谷部は「聞かない」刀だった。自力でなんとかしようとする。人に尋ねることを良しとしない。そういう彼は、他の刀に出遅れたくないという意地もあって、「手伝おうか」と手を差し出されることを疎ましいと思う気持ちを隠そうとしなかった。彼がそう望むなら、と自然に遠巻きになって、そんな悪循環の中で長谷部はもがき、打ち解けたい気持ちと、今更何をという気持ち、そしてお前たちは仲間というより出世を競い合うライバルなのだという気持ちが彼の中でないまぜになっていることが燭台切にはよく分かった。
 見ていられない、と思った。なんてむつかしいんだろう、とも。燭台切は彼のことが気になりながら、どう接するのが正解で、どうすれば彼を傷つけないのか、その適切な方法が分からないまま、手助けを拒否されて傷ついたり、逆に剣呑に見える態度を取ってしまって、思いもよらず傷ついた顔を見せた長谷部に胸をいためたりした。
「長谷部くんは、ご飯は洋風が好き? 和風が好きかい」
「どっちでも。食えればそれで」
 こんな調子で、会話はたいてい一往復で終わってしまう。どうすればいいかなあ、と悩む自分を、燭台切は不思議にも思った。そりが合わない刀なんていて当然だ。分かっていても、どうしても長谷部に手を差し伸べたくなる。もっといい方法があるよ、君は誤解されているんだよ、とかばいたくなる。それがなぜなのかはっきり分かるほど、燭台切はまだ完全に人間のこころの機微を理解したわけではなかった。

 長谷部と馴染んだのは、はじめて二人でよろず屋へ行ったときだった。主の買い物を手伝って、二人でそれぞれ一つ好きなものを買ってよい、と言われた。「子どもじゃあるまいし」と燭台切は笑い、長谷部は「とんでもありません、当然の職務ですから」と恐縮したが、主がどうしても買えと言うので、それならばと燭台切は新しいフライパンを所望した。長谷部は遠慮して、店の中で一番安価な、カラフルな知育菓子を選んできて、燭台切は「君こんなもの食べるの?」と長谷部の遠慮をからかって笑った。
 長谷部は、同僚からのからかいや、対等な物言いに慣れないようで、いちいち睨んで、主の前でも差支えない程度の言葉づかいで燭台切に言い返したが、怒ったり、嫌がったりはしなかった。話しながら、燭台切はようやく彼が、「対等な同僚としての関わりを望んでいる」ことに気が付いた。
「作り方分かるのかい」
「いいや」
 長谷部の手に持たされた「たのしいおすしやさん」というパッケージを眺め、本丸に戻ったあと二人で作ることにした。あのときがきっかけで、長谷部は知育菓子や妙な味のグミなんかを気に入ったのかもしれない。正直、作った寿司の味はおいしいとは言い難かったが、説明書を裏返して、額をつきあわせながらの作業は楽しかった。
 長谷部は、作り終わるころには、これまであまり話してこなかった分を補おうとするかのように、饒舌になっていた。
「思ったより難しかったな。これなんか寿司の形になってない」
「でも楽しかったね。味は別にして」
「そうか? なかなかいける」
「嘘でしょう? 僕の料理を毎日食べててこれをおいしいって思うなんてどうかしてるよ」
「ずいぶん自信がおありのようで」
 フン、と鼻を鳴らして、くちびるをちょっと持ち上げる、皮肉っぽい笑い方は新鮮だ。いつも眉をぎゅっと引き締めて、腕組みをし、くちびるを横に引き結んでいる顔ばかり見ていたから、笑ったときの高慢ちきな感じでも、ずいぶん親しみを感じる。
「笑えるなら、笑った方がいい」
「……何を急に。貴様のように愛想よく笑ったりなんて、俺にはできない」
「いいんだよ、今の笑い方で」
「人を小ばかにしたような笑い方で?」
「自覚あるじゃないか」
「……貴様バカにしてるのか?」
 小突き合って、軽口を叩くのは、燭台切の方も初めてだ。長谷部なら、こういう言い合いを真に受けていちいち落ち込むことがない。むしろ、何倍にもして返そうとして来る。彼らが二人が、知育菓子の一件から、廊下で小競り合いをし、いがみ合い、それでも笑い合っているのを見て、長谷部は遅ればせながらも、「毒があるが面白いヤツ」と同じように軽口を叩ける相手が増えて、急速に本丸に溶け込んで行った。

 そこからだ。長谷部はドクターペッパーだの、アボカドグミだの、妙な味の菓子や変わった味のものばかり好むようになった。いまだに語りつがれているが、一度など宴会の席で行われた「闇鍋」ならぬ「闇揚げ」の場で、ふざけ半分でポイフルを揚げた鶴丸国永の力作を、誰もが「食べ物で遊ぶな」「まずすぎる」「自分で責任とって食え」と散々にこき下ろされる中、途中から宴会に参加した長谷部がひょいとポイフルのかき揚げを食っってしまったことがあった。「怒りだすぞ」と身構えたその場の人間の予想に反して、長谷部は真剣な声で、
「これはなんのかき揚げだ? なかなかうまいな」
 と味わっていた。(鶴丸がふざけて作った闇揚げの産物だと知った後は「食い物で遊ぶな」と激怒していたが)

 長谷部くん。
 燭台切は、メレンゲが焼き上がるのを待ちながら、二振り目の長谷部が大急ぎでメレンゲのボウルをかっ込んでいるのを見つめて考えている。
 長く同僚としてやってきて、それでもずっとくすぶっている感情があった。これをぶつけてしまったら、長谷部がどんな顔をするか、自分を遠ざけるのではないかと怖くて、とても言えない。けれど二振り目の長谷部がやってきて、いよいよ彼らの違いをまざまざと目の当たりにし、迫ってくる気持ちある。

 僕は君が好きだ。
 きっと初めから好きだったんだ。

 揚げ足を取って、足を引っ張り合って、「お前たちは悪友だ」と評される今の環境を心地よく思う気持ちが、燭台切をその場に足止めしている。二振り目の長谷部に「お前たちは仲がいいんだな」と言われた一振り目の彼が、「気色悪い。何を言ってる」と一蹴した場面が何度もあって、燭台切はどうしても、自分がこの心地よい関係を崩すわけにはいかないと思う。
「さて、そろそろ焼きあが……」
 言いかけた燭台切の耳に、廊下を歩く足音が聞こえた。足音はあっという間に厨房に来て、
「二振り目!」
 と叫んで飛び込んできた。二振り目の長谷部はビクリと飛び上がってボウルを慌てて隠そうとした。
「また貴様ここに入り浸っ……何食ってる!」
「食ってない! あ! 洗ってるんだ!」
「そんな言い訳が通用するか! どこの世にべろべろ舐め回してボウルを洗うやつがいるんだ! 貴様も! 燭台切!」
「聞こえてるよ」
「何度言わせるんだ貴様! こいつにこれ以上食わせるな! こいつがブタになったらトンカツにして食ってやる」
「トンカツは豚肉だからトンカツというんだ。俺の肉だとトンカツにならない」
 口答えした二振り目をゴツンと拳骨して、ボウルを置かせ、首根っこ掴んで引きずっていく一振り目を見て、燭台切は呆れ笑いで手を振る。長谷部くんが長谷部くんに引きずられていく姿はなかなか見ものだ、と思いながら。
 二振り目の長谷部は、一振り目のこともあって、特に古い刀によくかわいがられている。長谷部自身もそうだ。二振り目はそのおかげかのびのびと育って、自信家かつ、それでもへし切長谷部という個体としては素直な性質になったのではと思う。ほとんどからっぽのメレンゲのボウルをどうしようかと迷っていると、通りすがりの石切丸が、「おや、いいものがあるね」と厨房をのぞいた。あとは彼の掃除機並みの胃が全部綺麗にしてくれるだろう。

(三)バカ舌の男

「オメーみてェのをバカ舌ってェんだよ」
 かつて日本号がそう言った言葉がすっかり定着して、へし切長谷部は「バカ舌」で通るようになった。全員が敬遠した舶来品の虹色の綿菓子も、あの独特の科学っぽい味が悪くないと思ったし、「これなら濾過した土を飲んだ方がマシ」と悪評だったレモンジーナは生産終了まで飲み続けた。エナジードリンクは博多や山姥切長義も好んでいたが、彼ら二人が「土味のジンジャーエール」とこき下ろしたオーガニックレッドブルもなかなかうまいと思っている。「口の中の水分がゼロになる」と評判のカニパンも、「ブタ箱のエサ」と呼ばれる鯰尾特性の野菜炒めも、「おいしいゲロ」と名付けられた見た目が最悪な三日月作の粥なんかも、長谷部は「クセになる味だ」と思っている。
 かといって燭台切や歌仙のつくる飯がまずい、というわけではもちろんない。むしろ、段違いでうまいと思っている。けれど、長谷部にとって忘れられない味は、はじめてよろず屋に行ったとき、妙な味の知育菓子だった。
 
 人間をやるのはむつかしい。
 本丸に顕現した当初はそんなことばかり考えていたように思う。人と交ること。仲間をつくること。心を開くこと。協力し合うこと。切磋琢磨すること。……色々な相反することを同時にやらねばならないのが人間だ。長谷部は顕現から少しで、すぐにその難しさに気が付いた。
 その、進退きわまった状態の長谷部に助け船を出したのが燭台切光忠だった。当初、へらへらして愛想を振りまく嫌なやつだと勝手に敬遠していた彼が、案外ずばずばものを言って、そのくせその柔らかい笑顔も本心であることが分かったから、長谷部は燭台切と仲を深めたことによって、「見た目だけでは分からないことがある」という学びを得たのだ。燭台切にとってはたくさんいる中の一振りかもしれないが、自分にとっては最も仲の良い一振りだ。長谷部はそう感じていて、だが言語化したことは一度もなかった。

 成長した本丸を見まわして、あれからずいぶん時が経ったのだと目を細める。二振り目の長谷部はもう十連戦目で、ずいぶん息が上がってきた。一振り目の長谷部の訓練はスパルタだ。古参の刀たちは、片手でも相手ができるまだまだ未熟な二振り目の長谷部を囲んで、短刀、脇差、打刀、太刀、大太刀、槍、薙刀、剣とすべての刀種に相手をさせている。立て! それでも貴様は侍か! と叱責を飛ばすと、二振り目の長谷部の目にめらめらと闘争心の炎が宿り、立ち上がる。勝利への純粋な執着心。自分と同じ顔の男の戦う姿を見て、長谷部は満足だった。
「さすが俺だ」
 訓練を終え、満足そうな一振り目の長谷部を見て、二振り目の長谷部も高慢ちきに笑った。当然だ、とでも言いたげな顔だ。
「貴様ムカつく顔だな」
「フン。これが貴様の顔だ」
 口答えも板についている。二振り目の長谷部がすんなり本丸に馴染んでいくさまを見ていると、かつての自分を自らがもう一度助けたようで、どことない安堵感があった。恩を着せるわけでも、そんなつもりもないが、二振り目の長谷部の育成は一振り目にとって当座の生き甲斐にすらなっていた。
「珍しい話だな。ウチも長谷部は二振りいるが、しょっちゅう喧嘩してるぜ」
 よく演練で相手になる見知った本丸の、その日隊長を務めていた和泉守兼定は目を丸くして、物珍しい様子を見せた。確かに、自分と同じ顔、似たような性格の男の教育というのは、並大抵のものではないだろう。だが自分が変わり者なのか、それとも二振り目との相性がよかったのか、運の良いことに、これまで二振り目と大きなひずみが生まれたことはない。
(誰に似たのか口ばかり達者だが)
 長谷部は肩をすくめ、そして向き直った。いま、道場では、木刀を蛍丸に弾き飛ばされた長谷部が、大太刀相手にステゴロで向かって行こうとしている最中で、見物している刀たちはやんやの喝采だった。

 そんな二振り目に対して、近頃、ちくりと胸が痛むことがある。
 燭台切とのことだ。
 燭台切は、当然二振り目の長谷部にも同様に優しかった。むしろ、味音痴とからかわれる一振り目と違い、二振り目の長谷部はどこでどうそうなったのか大の甘党で、おやつどきを日々楽しみにする美食家だった。
 二振り目の長谷部のそういう性質は、燭台切と非常に相性がよいと言えた。燭台切の設置した目安箱にせっせとリクエストを入れる甘党連中と一緒になって、二振り目は毎日のおやつを楽しみにしている。見ためだけなら一振り目と同じ、ツンと澄ました高慢な態度をしているのだから、自分が「甘い物大好き」であることを悟られないよう表情を殺しているところもまたかわいいのだろう。燭台切は目に見えて二振り目に対して気安く、一振り目の長谷部としてはそれを面白くないと思う自分を感じて、ヒヤリとしていた。
 なぜ「面白くない」などと思うのだろう? 二振り目と一振り目が大きく違っていることを、燭台切がきちんと理解しているのは長谷部がよく分かっている。現に、燭台切の、二振りの長谷部への態度はぜんぜん違っている。二振り目の長谷部には遠慮ない軽口を叩かないし、二振り目の方もそうだ。口を開けば軽口と揚げ足とりの自分とは違って、彼らの会話は至って平和だった。けれどそれが、なんだか悔しい。ああいう風に嫌みのない会話をするには、自分たちはもう妙な方向に打ち解けすぎた。
「また菓子か」
 先月からタピオカとかいう黒い餅ばかり食わされて、いよいようんざりしていた今日、遠征部隊の水筒にまでタピオカミルクティーがつめられた。甘ったるい飲み物は喉がすっきりしないから、戦闘や仕事のあとはあまり好ましいと思わない一振り目と違い、二振り目はいくらでも飲みたいらしく、そんな彼のために燭台切はわざわざ部屋にミルクティーと菓子の小皿を用意してくれていた。出陣のあと、二振り目に目だったけがはない。格上の刀剣たちに混ざって出陣し、怪我もやむなしと考えていた一振り目の長谷部は、彼の大健闘を素直にたたえ、着替えたら戦果報告書の書き方を教えてやる、と言って小休止をした後だった。二振り目の長谷部の部屋に出向くと、彼は小皿の上のアイシングクッキー(博多と長谷部の顔が模してあった)を眺めて、満足そうにタピオカをもっちゃもっちゃ食っているところであった。それを見て、
「また菓子か」
 と言ったのである。
「朝から食ってない」
「それはお前の責任だ。お前は朝に弱すぎる。腹が減ってるなら厨房で何かもらってこい。菓子なんか食うとかえって体に悪い」
「バカ言え、糖分は頭の回転をよくするんだぞ」
 貴様知らんのか、と目上の人間を鼻で笑えるのはさすが自分といったところだろうか。たしか全刀剣分のクッキーが作ってあって、「黒田盛り」とかいう組み合わせで小皿に乗っていたものがあったはずだし、きれいに形が残っている博多と長谷部のクッキーのかたわら、細かいクッキーの破片が皿に食いかすとして残っているのを見ると、日本号のクッキーも乗ってあったのだろう。日本号のクッキーだけ先に食い散らかしているところも長谷部らしかった。
「どちらから食うか迷ってる」
「どうでもいい。さっさと始めるぞ」
 残ったタピオカを慌てて吸って、長谷部は文机の隅に小皿とタピオカを寄せた。座学が始まると長くなることを知っているのだ。
 覚えもいいし、率直だ。態度もでかいし自尊心も強いが、それは自分も同じなので理解できる。二振り目には十分満足している。「二振り目の育成」という本丸において初めての取り組みは、大成功に終わると主に胸を張ってご報告できる日が待ち遠しい。
 しかし、それでも心は落ち着かない。これは仕事がどうとか、そういうものとは別物の気がかりなのだろう。燭台切が自分をどう思っていて、二振り目の長谷部をどう思っているのか。いつくしむような燭台切の柔和な態度が、二振り目の長谷部にだけ向けられるものなのか、「へし切長谷部」だから向ける笑顔なのか、それが分からない。分かるすべもない。
「おい」
 顔の前で手を振られて、ハッと目を上げた。二振り目の長谷部が、突然黙り込んだ一振り目を見て怪訝そうに眉をひそめていた。
「何考え込んでる。腹でも痛いのか」
「違う、お前じゃあるまいし。何を話してたか忘れた」
「敵の本陣見取り図の書き方だ」
「ああ、……そうだったな」
 気を取り直した一振り目が筆を動かし始めると、二振り目の目はその手先に集中し、視線が寄せられる。すらりと高い鼻筋の角度は完璧で、髪がさらさらと額に流れ落ちていく。自分の造形を自分で「いい」とは思っていない長谷部だったが、「悪くない」とは思う。人間の美醜には疎い方だし、そもそも刀の付喪神として美貌を貰い、顕現した人間ばなれの美男子たちとともに生活しているせいで、美しさへの感覚は麻痺しているのだろう。だが、燭台切とともにいるときは?
 塗りつぶしたような黒い髪の先が、しっとりと揺れているのを、手袋をした手がかきあげる。微笑むとうっすらくちびるの端に影がさして、目の奥は美しい琥珀色。白い肌の上に太陽のひかりが滑って、非の打ちどころのない美男子だった。燭台切のことを長く見つめていると、なんとなくバツが悪くなるので、会話のときはつい声をとんがらせてしまう。普段は柔和な燭台切が、ざっくばらんに話してくれるのを、ふっと「うれしい」と思う。そしてあの笑い声、かおってくる甘いにおい、呆れたような、片方の眉をクイとあげるからかいの表情。
 燭台切にだけ感じる特別な感覚だ。また黙りこくった一振り目の長谷部を見て、二振り目の長谷部は「またぼうっとしているぞ」と気づかせるように、音を立ててズゴゴッとタピオカを吸いこんだ。
「ッ!」
「食うか、クッキー」
 二つクッキーの乗った皿を、二振り目が差し出してくる。甘いものはすべて独り占めしたい彼には信じられない行動である。
「どっちを食うか迷ってるんだろう」
「ああ。だが貴様が片方食べれば俺は残った方を食べればいい、選ばなくて済む」
「フン」
 甘いものは好かん、と言いながら、長谷部は迷ったあげく、つぶらな瞳の博多を食うことはできない、と自分を選んだ。ばりばりと歯で噛み砕いている一振り目の長谷部を少し眺めたあと、二振り目はぱくりと博多を丸のみして、もごもご口の中で転がしている。
「さっさと食え、何している」
「あめふぇる(舐めてる)」
「気色悪いな、博多がかわいそうだろ」
「はめまい(噛めない)」
 もごもご、しばらくそうやった後、やっと踏ん切りがついたのか、パキ、パキ、とやさしく慎重に噛んで、二振り目はクッキーを平らげた。
「顔の菓子は反則だな。この前もひよこのまんじゅうをもらったが、食いづらくて仕方なかった」
「ただの菓子だろう」
「顔がついてるとなんとなく気が引けないか?」
「まあ分かるが……」
 同じ声、同じ顔の男が並んでこんな話をしているのは滑稽に見えるだろうか。二振り目の長谷部は残りのタピオカも全部吸い込んでしまうと、やっと満足げにふうと一息ついた。
「燭台切がぎりぎり限界、許せる範囲で菓子に色をつけようとしたのが、この〝アイシングクッキー〟というやつだ」
「……突然何の話だ」
 いきなり、二振り目の口から「燭台切」という言葉が出て、驚いた。その驚きを隠しながら、一振り目の長谷部はあくまで普段通りの顔をする。
「あいつはお前によろこんでほしいんだぞ、ドクターペッパーにもポイフルのかき揚げにも土味のレッドブルにも負けたくないんだ」
「何の話だ、一体」
「まだあるぞ、このクッキー」
「……」
 二振り目の長谷部は意味ありげに一振り目を見た。
「悪友盛り、っていうのがあるんだ。お前と燭台切が盛られた皿だ。でも、たぶんお前が食わないだろうから、俺に回ってくるだろうな」
 彼が何を言わんとしているか、一振り目の長谷部にはなんとなく分かってきた。たぶん、この二振り目は、一振り目の長谷部が食べなかった菓子を、燭台切から回してもらっていたのだろう。そして、その菓子がたしかかに長谷部のために作られたものだと分かったのかもしれない。
「……燭台切は、……その……」
「パチパチするわたがしとか、虹色のグミばっかり好んで食うようなやつでも、燭台切はやっぱりお前に〝うまい〟と言ってほしいんだ」
「燭台切の飯はうまい、それは俺だって分かる」
「ちゃんと言葉で伝えたか?」
 俺はそういうことを、「言わなくても分かるだろう」と省略しがちだからな、と二振り目は冷静だった。同じ個体の自分を近くで見ているから、誰より二振り目の長谷部が長谷部自身のことをよく分かっている。
「ドクターペッパーより燭台切の飯がうまいとちゃんと言ったか?」
「……」
 なんで俺が貴様に責められなきゃならないんだ、とふて腐れた一振り目に、二振り目がここぞとばかり、肘で小突く。
「言いに行け。いまならまだクッキーがある。もらって来い」
 うるさく小突かれ、長谷部は渋々立ち上がった。うまい、くらい言える。だって燭台切の作るものは本当にうまいのだから。けれどいざ、となるとドキドキした。普段は主の前でも足だけで蹴り合い、「貴様言い加減にしろよ」「君だってよくもまああんな上っ面の愛想笑いができるね」「何を? 貴様のそのへらへら顔を見てると癪に障るんだ」……などと言い争って肘鉄し合っている同僚に、改めて言うとなると……。いつもより、二振り目の部屋から厨房までの道のりを長く感じた。中をこっそりのぞくと、そこには燭台切がいた。明日の仕込みをしているのかもしれない。
「ああ」
 目を上げた燭台切はにっこり笑って、
「長谷部くん。どうしたの」
 と声をかけてきた。その声を聞いて、長谷部はハッと息を止める。

 こいつ、二振り目と間違ってるな?

 たしかに、厨房をこっそりのぞく動作は、二振り目が甘い物を漁りに来る際の(何かやましい気持ちで厨房にくる際の)特徴だった。だから燭台切は二振り目だと思ったのだろう。服装もあいにく、戦場から戻ってすぐのため、どちらもジャージ姿である。一振り目の長谷部は、二振り目だと思い込んでいる燭台切の勘違いに、ノってみようとふと思いついた。
 二振り目に投げかける優しい笑みの理由を、……二振り目のことをもしかしたら、「ただ一人の長谷部として」愛しているのだとしたら? それを探ることができるかもしれない。長谷部は努力して、「二振り目の長谷部」らしく見えるよう、すっと厨房に入り、燭台切のそばに寄った。
「菓子が欲しいんだが」
「クッキー食べたでしょ。また長谷部くんに叱られるよ」
「構わない。あいつにバレなければいいんだ」
「またまた。報告書の書き方、教えてもらってる最中じゃなかった?」
「小休止だ」
「長谷部くんも君には甘いんだから」
 言いながら、仕方ないなあ、と燭台切は小皿を取り出した。二振り目の言った通り、クッキーが二つ乗った皿が出てくる。燭台切と、長谷部。ふたりの顔のアイシングクッキーが乗った皿だ。
「悪友盛り」
 ついつぶやいた長谷部に、燭台切は照れたように目を細めた。
「似てるでしょう。我ながら、長谷部くんのこの憎たらしい顔がうまくできたなって」
「憎たらしいとは何だ」
 思わず口に出した一振り目の長谷部に、燭台切は「ごめんごめん、同じ顔だったね」と気づいた様子はない。これなら素直に「うまい」とも言えるかもしれないぞ、と長谷部はだんだん調子を取り戻し、ほくそ笑みながら、どこかで、二振り目の長谷部としてならこんなにすんなりと会話ができる燭台切に、やはり胸がちくりとした。
「大事に食べてね。とっておきなんだから」
 燭台切が、嫌にやさしい声でそう言うので、長谷部はどきりと息が止まった。小皿の上の燭台切の、にっこり笑った顔のクッキーをひっつかむ。燭台切が「あっ」と言うのもお構いなしに、長谷部は口につっこみ、続いて自分の顔のクッキーもつかんで一緒に口に放り投げた。一緒に食ってしまえばどうということはない。ばりぼり遠慮なく噛み砕いて、じんわり広がったやさしい甘さに、長谷部はぎゅっと胸をつかまれた。
「……うまい」
 ぼそ、と囁いた長谷部に、驚いた顔をした燭台切の頬が、みるみる緩んだ。きらきら、目の中に宿った燭台切の光が、長谷部の胸をずきりと刺す。やっぱりこいつ、二振り目のことが好きなんじゃあないか、と覚悟した長谷部の耳に、
「好きだよ」
 燭台切の声が響いた。
「君が好きだよ、ずっと前から」

 終わった。
 終わったのだ、と長谷部はそう思った。二振り目の長谷部はやはりこいつに愛されていた。一振り目ではなく、「二振り目」を、愛していたのだ、この男は。うん、とも、いや、とも言えないでいる長谷部に、燭台切はもう一度言った。
「君が好きだよ、〝一振り目の〟長谷部くん」
「俺は、……ッは?」
 思わず素っ頓狂な声を出した長谷部に、燭台切はすうと目を細めて、いたずらっぽい顔をする。「好きだ」と言ったことに嘘はないようで、彼の頬はやや紅潮していたが、長谷部のきょとんとした顔を見て笑いが漏れている。
「なッ! な、……なぜ俺が一振り目だと……、貴様……」
「なぜ俺が、なんて語るに落ちてるよ、長谷部くん。なんとなくいつもと違うなと思ってたけど、クッキーを噛み砕いたときに決定的に気が付いたかな。二振り目の彼はアイシングクッキーの表面が全部溶けるまで舐めるんだよ。かわいそうだからって」
 そういえばそうだった、と頭を抱えそうになる長谷部に、燭台切は更に追い打ちをかける。
「それに、一体何年僕が君を見てきたと思っているんだい、長谷部くん。二振り目の長谷部くんと君はぜんぜん別人だよ。分かるでしょう。入ってきたときは勘違いしちゃったけど、一言しゃべったらもう分かったよ」
「ッき、貴様~~~~~ッ、分かってて……!」
「長谷部くん」
 胸倉つかみかかった長谷部を遮って、燭台切が迫った。それで、君、さっきの返事はしてくれるのかい?

 返事を迫られ、長谷部はごくりと生唾を飲みこんだ。あとで聞いたところによると、燭台切は、「一振り目の長谷部に〝おいしい〟って言ってもらえたとき、好きだと言うつもり」だったのだそうだ。まんまと罠にはまったわけだ。貴様知ってたんだろう、と二振り目に詰め寄ったが、彼は知らない顔をして、「二枚いっぺんに食えばいい、というのは発見だな」と新たなアイシングクッキーを眺めている。
「で、一振り目、お前何て答えたんだ」
「……貴様に言う義理はない」

(四)料理をしたことがない男

 包丁を操る手が、恐る恐る、ふるえている。燭台切光忠は顕現して二振り目の刀だった。もといた本丸では一振り目だったが、彼が以前仕えていた主はもう死んだ。刀たちへの常軌を逸した行動と、見かねた他の本丸からの通報が相次いで、任を解かれた際に主は自死したと聞いている。できれば顕現を解かれてしまわれたかったが、願いはかなわなかった。以前の仲間たちはそれぞれ新しい本丸に引き取られることとなり、燭台切は新しい本丸に顕現してきてすぐだった。
 新しい本丸は大きな本丸だった。刀剣たちがひとそろいいるほかに、二振り目の育成まで行っている。二振り目は複数本すでに育成されていて、燭台切の世話係は一振り目の燭台切だった。
「珍しいね。同じ顔の世話係って言うのはなかなか見ない」
「そうらしいね。でも、成功事例があるから」
 この本丸の審神者は、二振り目の育成として、永久封鎖された本丸から摘発された刀を二振り目として受け入れることを目標としていたらしかった。六振りの刀を二振り目として育成し、それがつつがなく成功に終わったと言える結果になったため、いよいよ本格的に二振り目の受け入れを始めたらしい。二振り目の燭台切は、それでもまだ本丸に馴染んだとは言えない。何しろ、「もう刀解してくれ」と何度も頼んだというのに、まだ生かされていることが、まず彼の腑に落ちていないのだ。

 料理をしたことがないのだ、と打ち明けると、一振り目の燭台切は、驚いた顔を見せたものの、「じゃあ練習しようよ。料理の手はいつだって足りないんだ」と笑った。自分のこの柔らかい笑みは、誰にでもやさしいがために、疑わしくも見えやすい。自分のにこやかな目がこんな風に見えるのか、となんとなく初めは違和感があった。
「料理をするような環境じゃなかったんだ。だから一度もやったことがない」
「僕だって最初はダメダメだったよ。レンジで砂肝を爆発させたこともあるし」
「砂肝……?」
「アヒージョを作ってたんだけど、てっとり早くあっためようと思ったら爆発しちゃってね」
「アヒージョ……?」
 一振り目の言っていることは半分も分からなかったが、とにかく、二振り目の燭台切は、一振り目の言うとおりに野菜を洗ったり、切ったり、焼いたり煮たりするようになった。確かに料理は楽しく、そして「おいしい」と作ったものを褒めてもらえるのは素直にうれしかった。徐々に生来の明るさ、やさしさ、笑顔を取戻しつつある二振り目の燭台切に、しばらくしてある一つの悩みが心に浮かぶようになった。

 おいしい、と言ってほしい人がいる。
 気難しくて、自分と同じ二振り目だが、ずいぶん早くこの本丸にきていたらしく、もう大分古参刀たちと馴染んでしまって、距離が遠くに感じられた。ツンケンしているが、甘いものが好きらしく、おやつを食べているときは驚くほど顔つきが緩んだ。他の甘党たちと一緒に厨房に忍んできては、おやつで使ったクリームや、メレンゲのボウルが残っていないかと詮索しにやってくる。
 へし切長谷部。
 長谷部くん。
 燭台切が元いた本丸にも、長谷部はいたけれど、顕現する先によってこんなに変わるのかというほど性質は違っている。一振り目の燭台切と二振り目の燭台切が、箸の持ち方一つとってもぜんぜん違っているように、二振り目の長谷部は燭台切にとってはじめての「長谷部くん」だった。
 まだまだ料理上手とは言えない自分の腕前と、長谷部の気難しい性質がぶつかって、食べはしてくれるものの、「おいしい」と正面から言われた経験がまだ一度もない。おいしいかな、と尋ねると、「悪くない」とだけ言う。でも、ボウルに残ったクリームをこそげ落として「うまい」と言って食べる時ほどのゆるみは見られない。食べた瞬間、思わず「うまい」と言ってしまうような、そんなお菓子をつくって彼にふるまいたい。そう思い始めると、二振り目の燭台切はみるみるうちに料理にのめり込むようになった。

「長谷部くん」
「なんだ、……貴様か、二振り目」
「作ってみたんだ、えーと、これ……」
「へえ、白玉だんごだな」
「そう、それなんだ」
「あとで食う。冷蔵庫に入れておいてくれ」
「あ、……うん、ありがとう」
 冷蔵庫に白玉だんごを閉じ込めて、ふう、とため息をつく二振り目の燭台切の切ない横顔を背にして、二振り目の長谷部は厨房の外へ出る。本当は今すぐ食べたいが、なんとなく照れくさくって、あとでこっそり自室で食べよう、と逃げ出してしまった。
 なんとなくあいつといるとペースが狂う。二振り目の長谷部はそう思って、彼のような率直な性格には珍しく、二振り目の、傷ついた目をした一匹のはぐれ狼みたいな燭台切のことを、やや遠ざけている。
「ああ、どうしよう……、見ていられない」
「フン、手を出すなよ。貴様が茶々を入れるとこじれそうだ」
「君にだけは言われたくないね」
「ハッ、貴様こそうじうじ悩んでいやがったくせに……」
「それは君もでしょう長谷部くん、ブーメラン刺さってるよ」
「うるさい」
 げしっ、げしっ、と互いの足を蹴り合いながら、一振り目のふたりは二振り目たちのやり取りを眺めながら、相変わらず遠慮がない。たまたま通った主の前で、足蹴りをぴたりとやめ、「主、おはようございます。お早いですね」とにっこり笑った長谷部を背中の後ろで小突きながら、「おはよう主。今日はお天気だから洗濯物があったら出しておいてね」と言う燭台切は長谷部に腕をつねられている。相変わらず仲いいねお前たちは、と審神者が去ってしまうと、「貴様何する! 主の前だぞ!」「先に手を出したのは君でしょ」と言い合いが始まった。

 一振り目たちは仲がいい。
 ふう、と二振り目の燭台切はため息をつく。料理がうまい? 程よく口が悪くて、遠慮がなくて、自信がある。僕はどうだろう? ほがらかで明るい燭台切の性格上の美点を、以前の本丸は根こそぎ奪い去ってしまった。けれど、この陽のあたる大きな本丸では、生来の性格を取り戻すことだって不可能ではなさそうだ。
 一振り目たちは仲がいい。
 逃げ去った二振り目の長谷部は、慌てて大太刀部屋に入り、石切丸と太郎太刀に「貴様ら冷蔵庫の中の白玉だんごを食べたら地の果てまで追いかけて斬り捨ててやるからな」と言い放ち、ぽかんとしている彼らをおいて、三条派で集まって談笑していた縁側の三日月宗近を指さし「冷蔵庫の中の白玉だんごを食ったら貴様を末代まで呪う」と捨て台詞を吐いた。三日月は半分も聞いていないようで、彼が去ってから「なるほどそれはうまそうだな」とのんびり茶をすする。最後に包丁藤四郎を探し出して、「冷蔵庫の中の白玉だんごを食ったら貴様が毎回当番をさぼっていることを一振り目にバラす」と脅しつけた。いきなりなんだよう、と憤慨されたが、一振り目に嫌と言うほど仕置きを受けている包丁には、それだけでずいぶん効いたはずである。
 一振り目たちが、互いの気持ちに気づかないまま円の上をぐるぐる回って、果てのない追いかけっこをしていたときは、他人事だからとすぐ気が付いたのに、自分のことだとまっくらになる。二振り目たちの追いかけっこを円の外から見守っている一振り目たちは、腕組みをして見守っている。さていつ横槍を入れてやろうかと時を見はからって、かつての自分たちをそこに見出している。

 恋は厄介なマラソンだ。円の上を走り続けていては、答えにたどり着くことができない。答えを見つけることができるのは、そこからコースアウトできた者だけなのだ。

〈了〉クラウドケーキはずんでる 2019.10/28