パンプアップ!絶対阻止

◆いろいろあってムキムキ男しか愛せない主に愛してほしくてムキムキになろうとする長谷部と、「トレーニング」と称した夜のプロレスで体の関係になってしまい、攻略ルートを間違えたと悩む燭台切の、頭ゆるゆるの燭へし
◆IQクソ低いエッチギャグです
◆主の過去が赤裸々につづられます。主は寡黙という設定なのでほぼ話しませんが、詳細につづっているので、審神者が主張する感じのが苦手な方はご遠慮ください!
[→読む方の自衛のため軽く書いておくと、主は過去海外の刑務所に入っていた時期があり、そこで身を守るために囚人の「オンナ」になっていましたが、そこで出会った筋肉男にガチ惚れ、今もその男を引きずっていて、筋肉質な刀剣男士びいきになり、完全に趣味で「トレーニング会」と称した筋肉男士限定の密室サウナ状態での筋トレ会(※これは本当に筋トレのみです)を行っている……という直球のフェチ主です。]
◆審神者×審神者(男同士)表現あります。

   (序)

 刺激に慣れてくると、思考に無駄なものが混じってくる。明日の出陣予定、昨日食った味噌汁の味、心にひっかかったやりかけの仕事。それらの雑念を、不思議と燭台切光忠はわかるようで、「ダメだよ」と柔らかい口ぶりとは裏腹に、パン、パン、と気付けするときと同じ強さで、へし切長谷部の尻たぶを叩いた。
 「ッんはっ、……ああっ……! あっ、あっ、あっ!」
 身体が前後に激しく揺さぶられるたびに、否応なく声が喉から飛び出していく。はじめこそ、まだ理性的だった時点では、声を殺して、できるだけ自分の体裁を保とうとしていたが、絶頂に向かって駆けあがっていく、この最後の坂道で、そんな余裕は毛ほども残っていなかった。
 ふっ、ふっ、と規則的に息を吐いて、自分の尻へ腰を打ち付けている燭台切が、普段のあの甘ったるい雰囲気を全部とっぱらって、獣みたいに荒っぽく、長谷部を気に掛ける様子なくオーガズムの果てをつかもうとしていることが、長谷部の自尊心をくすぐった。尻でするセックスは、子をなすという生物学的本能が介在しないせいで、かえって感情的な欲情が混じる。長谷部は強い羞恥心と、それからこのように荒々しく乱れる燭台切の息遣いを聞いての自尊心でゾクゾクと背筋を震わせ、燭台切は、よき友であり仲間の一振りである、カタブツの参謀を、自分のモノとして支配していることに興奮するのだ。……また、そんないらぬことを考えた長谷部を見透かして、「ほら、集中しなきゃ」と燭台切の濡れた声が後ろから耳をくすぐった。
「し、……し、してる……ッ」
「そうかな……っ? 僕には、ぼうっとしてるように、っ思えたけど……!」
 切れ切れに息を区切って、燭台切はごつんと奥を叩いた。はじめは男のモノを拒んでいた尻の入り口も、もうすっかりゆるゆるに口を開いて、ふしだらなくらい咥え込んでいる。腹の裏側をこする違和感と、尻の穴がぐいぐい広げられる、擦れるような痛みにはじめは眉をひそめていた長谷部も、もういかめしい眉間はゆるんで、へっ、へっ、とイヌみたいに舌を出して息をしていた。
 ぽた、ぽた……、とぬるい汗のつぶが、長谷部の顎から滴り落ちた。セックスすると、滝のように汗をかく。なぜなのかはわからない。ヒトの体の不思議だ。どんなに涼しい夜であっても、布団の中でむつみ合っていると、ぬめった脂っぽい汗で体中てかてかになって、尻を打つ音が、乾いた「ぱんっ、ぱんっ」という音から、「ぱちゅっ、ぱちゅんっ」というぬめりを帯びる。長谷部は両手でぎゅっと布団を握りしめ、燭台切が背後から覆いかぶさっている間、必死に腕をつっぱって、崩れ落ちないように耐えていた。
 ぽつ
 と、背中に燭台切の汗が落ちた感触がした。ああ、いきそうだ。燭台切が苦しそうにそう囁くと、一気に目の前がスパークする。「ねえ、ご飯できたよ」「長谷部くん、おつかれさま」「お味噌汁、味見するかい?」……云々、日常の節々で耳にする、この優しい男のねぎらいの声とはちがう声が、背後でぐるぐる唸っているのだ。興奮せずにはいられない。いきそう、と燭台切に言われると、長谷部はもう我慢できなくなる。こらえていたものが噴出するように、長谷部は恥も外聞もかなぐり捨てて叫んでしまう。
「あっ、うっ、ああっ、おれ、おれも、おれもッ……、あ、い、いや、やっ、だめ、だめえ、そんな、ッ、つよく、だめ、だめだ、おれも、おれもいく、いっ、……く! いく、いく、いく、……いく……ッ」
 訴えかけている間は、雑念も吹き飛んでしまう。ただ、「イく」ことしか考えられなくなる。あの、内側から爆発するような心地よさ。そこをつかみたい。雑念が入ると、とたんにその波をつかみ損ねてしまう。絶頂ってやつは細い糸みたいだ。海の上を漂う細い糸。集中して、そこをじっととらえないと逃してしまう。だから長谷部は、体面をかなぐり捨て、この瞬間ばかりは、明日の隊員配置図も、昨日の味噌汁のことも忘れる。

 おねがい、いかせて。
 かみさま!

 ただ、それだけ祈って、打ち付けてくる燭台切の腰に負けぬように、尻を突き出し、ここを、ここを突いて、というふうに、尻を上げて必死に訴える。
「あっ、あっ! あああっ、いくっ、いく、いくっ、いくいくいくッ、い……ッ!」
 歯をかみしめ、声なき声が天を突き、勢いよく射精すると、尻の内側へ生ぬるい、どろっとしたものが流れてくるのを感じた。燭台切はすぐには抜こうとしない。教えこむように、たん、たん、と二度ほど、イったばかりの体を甘く穿ってから、はあ、はあ、と呼吸を整えて、長谷部の背中にキスをする。ここまで優しくしてあげられなくてごめんね、と機嫌を取るように。長谷部はぶるぶる震えながら、射精感で脱力する体を、ぐしゃりと布団の上に投げ出す。
(かみさま、だと……。ハハハ……。
 かみさまは、おれだ……)
 惚けてほほえみながら、長谷部はうっとり目を閉じる。燭台切を見ると、汗に濡れた髪をかきあげながら、長谷部を見下ろして、幸福そうに笑っていた。
「かわいいよ、長谷部くん」
 ぽうっとして、長谷部は目を閉じた。あとの処理はお前がやってくれ、俺は寝る、という意思表示だった。長谷部はセックスすると、たいてい疲れてすぐに眠ってしまった。

   (一)スウィート・ジャパニーズ

 あっちにかわいいのがいるぜ、と耳打ちされ、目を向けたとき、正直なところ生ッ白いひ弱なジャパニーズ坊やにしか見えなかった。どうせ麻薬のディーラーでもやってたんだろう、と思ったとおりで、たっぷり混ぜ物の入った脱法ドラッグの売人として、ハワイで検挙されたそうだった。ハワイの州立刑務所から移送されてきた割には色の白い、ここイリノイ州のオールド・クワトロンのような、図体のでかい男が人間倉庫みたいにぎゅうぎゅうにねじ込まれているブタ箱には珍しい手合いだった。
 入所初日から、当然彼は目をつけられた。いいカモだと思われただろう。当然、腕っぷしじゃあ全然かなわなかった。それでなくてもアジア人囚人はナメられる。彼が賢かった点は、へたに歯向かっていよいよ目を付けられるのではなく、なんとか有力な人間の庇護下に入ろうと試みたところだろう。あからさまな色目で近寄っていく男たちにも、イヤな顔はみせない。それどころか、静かに笑っていた。
「知ってるか? あのヤロウ、署長と寝たらしい」
「あの豚野郎とか?」
 この話題に興味がなかったはずが、この南房の統括者であり、根っからのクズ野郎であるでっぷり太った署長とあの細身の日本人が寝ていると聞くと、嫌悪を伴った好奇心が湧いてきた。フリーク・ショウを見るような感覚だ。気持ち悪いものを敢えてみたい、そんな好奇心。いま、かの日本人に絡んでいるのは囚人のひとりで、図体ばかりがでかいだけの、窃盗だかなんだか、軽犯罪を繰り返してここにぶち込まれている小物である。ほほ笑んで、ゆっくりと、彼は立ち上がった。
「おい、カルロス」
 いくのか、お前が? 興味津々の笑みを向けてくる相棒には目をくれない。片手を挙げ、二人の囚人の間に割って入った。鎖骨から肩、片腕全体を覆う赤いバラの刺青に、ふと日本人はあどけない顔で見上げた。
「よお。俺とも遊ぼうぜ」

 ……主が話し始めた、彼の生い立ちを聞くのはもうこれで二百回目はゆうに超えているだろう。酒癖の悪い彼は酔うと決まってこの話をする。さすがにもう薬物はやっていないようだが(もともとは売る方専門だったようだし)、この悪酔いだけは一向に良くならない。我らの主が前科者だろうが、昔海外の刑務所で男に抱かれていようが、基本的に刀剣たちにとっては些事である。その過酷な生い立ちは別として、新天地として前科者だった彼に居を与え、仕事を与え、報酬を与えた政府に対して、主はわずかばかりの恩義を感じているようだった。長いものには巻かれる彼の性格が、いい方に転んだのだろう。
 浅黒い、カリフォルニアのゴールド・コースト育ちらしいぴちぴちした日焼け肌を、くっきりと彫り物で覆って、柔らかいナチュラル・ブロンドを肩まで伸ばし、ゆったりとウェーブをかけた、ゆうに二メートルを超す大男。無精ひげだが、生まれついての金色の髪が、髭さえなんとなくこじゃれて見せる。生まれはスペインだそうだ。だから、英語にも強いスペイン訛りがあって、初めは聞き取るのも難しかった。あの独特のイントネーションがたまらくセクシーで、もうスペイン訛りの英語でなければ聞きごたえがない。……らしい。

 どんちゃん騒ぎの中、この話をちゃんと相槌打ちながら聞いているのは、もはや数振りだけになっている。真面目な、忠臣タイプの刀ばかりしか周囲に残っていないのに、彼らに聞かせるにはちょっと破天荒すぎる主の物語は、もう何度も聞かされた内容なので、今となっては聞きなれた音楽みたいだった。
 主がブチ込まれていたアメリカ合衆国イリノイ州の州立刑務所にて、主がどのように生き延びてきたか、話はいよいよ佳境に差し掛かっていた。ハワイの刑務所では、ケツを掘られるのが嫌でさんざん抵抗したため、もっとひどい目にあった。毎日何人にも囲まれ、動かなくなるまで暴行された上でレイプされる。次はこんな失敗をしてはならないと、イリノイ州では自ら男のアレを咥えるようになった。たしかに、主は刀剣である燭台切光忠から見ても、恵まれた容姿をしていると言える。アジア人っぽい薄めの顔だが、黒々した髪はつやがあり、肌は白い。笑うとえくぼがかわいい童顔だ。もう三十目前だったはずだが、二十代半ばと言っても全然通用する顔立ちで、実際、演練に出てもよその本丸の若い女審神者が、「あの人かっこいい」と囁いている声が聞こえることも珍しくなかった。
 人間離れした美貌が刀剣なら、彼は人間らしい容姿の整い方をしていた。鼻が低めで、目がやや細いことも、愛嬌のひとつになっている。系統で言えば、加州清光が一番主の顔立ちに似ている。美少年よりの、美青年。イリノイ州の刑務所にいたのは二十代前半のころだというのだから、確かに、屈強な外国人犯罪者たちにかわいがられただろうとは察するにあまりあった。

 太った刑務所署長のチンポを咥えて身を守るのは、〈カルロス〉という男に出会った瞬間に終わりを告げた。カルロスは間違いなく、刑務所内ではかなりの力を持つ男だった。刑務所で生き残る方法は二つだけだ。強者として君臨するか、強者のお気に入りのオンナになるか。主はめでたく、後者となった、というわけだ。
 ただ、特筆すべきは、カルロスとのその後の物語だった。
 刑務所の中で行われる男同士の性交渉は、いうなれば「マウント」に過ぎない。野犬の群れがやるようなそれだ。性欲の解消というそれだけの目的のために、かたや手ごろな穴を使うため、かたや穴を提供してなんとか刑務所内で生き延びるためだけに、疑似的なカップル関係になる。当然、心から愛しているわけではないし、刑務所を出たとたんお互いのことなんて忘れるだろう。……それが普通だった。それなのに、主とカルロスは違っていた。
 はじめこそ、ただの性欲の解消だった二人の関係が、獣のようなアツいセックスをしたあと、たどたどしい英語の主と、スペイン訛りの英語のカルロスで、ぽつぽつ寝物語をするうちに、彼ら二人の生い立ちが、驚くほど似ていることが分かって来た。主もカルロスも、小さいころ両親が離婚し、その後家が貧困した。最下層のスラムで育ち、ろくろく教育も受けていない。小さいころから危なっかしい仕事をやって、早くからハワイへ渡った主同様、カルロスは故郷を出てカリフォルニアで出稼ぎをしていた。マフィアの使い走り、麻薬ディーラー、思いつく限りのことはなんだってやった。カルロスは今やギャング組織を束ねるボスになっていたが、抗争の末、他チームに売られてここへぶち込まれることになった。主は主で、売人の仕事先でガサ入れがあり、雇い主に切られる形でぶち込まれた。……徐々に、セックスの時間より、話している時間の方が多くなった。そして、ある日、カルロスはこう言った。
 ここを出たら、お前と暮らしたい。
 カリフォルニアに女がいるんじゃなかったか? とからかった主の肩を抱き、からかうなよ、とヘイゼルの目が真剣に覗き込んだ。俺は本気だ。カリフォルニアの女だって? 俺は真剣に恋に落ちることなんて一生ないと思ってた。遊びの女がいるだけだ。お前とだってそう思ってた。だが、俺は、お前なしで生きられる自信がもうない。……
 その日、彼らはそれまでしたことのなかったことをした。キスだ。出会って数か月、セックスはしても、くちびるを重ねたことはなかった。そんな必要はないと思っていたから。彼らの関係が確かなものになったのはその夜からだった。

 主は、普段こそ寡黙だが、酒が入ると途端に饒舌になる。カルロスと初めてキスした夜の話は、特に、彼の物語の中でも佳境だった。ただ、饒舌とはいえ、元が寡黙な人だったから、しゃべっていてもぼそぼそと繰り言を言っているようにしか聞こえない。〈カルロス〉と出会ったころは、まだ愛嬌のある男だったようだが、〈カルロス〉と離れて審神者となってからというもの、彼は振りまく愛嬌を忘れてしまっていた。
 ヒック、としゃっくりして、主のボルテージは最高潮に達している。ぼろぼろ、と両目から大粒の涙をこぼして、主はドンッ、と一升瓶を机に打ち付けた。主のボルテージは最高潮だ。そして、きっとこのことも、明日になったらけろりと忘れてしまっている。
 ――……好きだった。
 主は怨念のこもった声でつぶやくと、うっつら、うっつら目を閉じる。どうやら酔いの限界が来ているらしい。ぐでん、と酔っぱらった体で全体重を預けられ、隣に侍らされていた蜻蛉切が、緊張気味の顔でじりじりと横へずれている。カルロスのせいで二メートル近い筋肉質な男しか愛せなくなった主は、蜻蛉切や、反対側で静かに酒を飲んでいる祢々切丸のような、大きな男士を特に好んだ。真面目な性格の蜻蛉切は、この手の話が出るたび耳が聞こえなくなったような素振りで居心地悪そうにしているが、祢々切丸はどんなドギツイ下ネタが飛び出しても、顕現当初からあまり動じる様子もなかった。
 そして、主の両脇をかためる彼らを、今にも焼き殺さんばかりの熱視線で睨みつけているのが、へし切長谷部であった。

 燭台切光忠の本丸の主は、性癖こそムチャクチャだが、審神者としてはそつのない男だった。働きぶりもいいし、刀の取り扱いについても、至って平等だ。いくら大柄な男士が好きだからといって、そうでない刀を虐げるようなことはない。しかし、主がこのような変わった方なので、やはりプライベートの面では、多少の贔屓は生まれる。仕事上はみなに平等だが、無礼講の酒の席で、こっち来て座ってほしい、と引っ張ってこられるのは、筋骨隆々とした逞しい刀剣ばかりであり、燭台切光忠もそのうちの一人だった。なまじ、消え入るようなぼそぼそ声で、めったに言葉を発さない主が、隣に、と希望するのだから、それを無下にもできはしない。いいよ、わかったよ、と彼の隣に座って、ぐでぐでの酩酊状態に陥り始めると、また〈カルロス〉の話を聞かされる。うんざり、とは言わないが、聞かされてうれしい話でもなかった。
 だが、燭台切とほぼ同時期に本丸に顕現し、長いこと「同僚」として切磋琢磨しているへし切長谷部は、そうは捉えない。主の、長谷部への対応は、冷たくこそないものの、長谷部が熱心に「主大好きビーム」を出している割には、そっけない。生来の性格がそっけなく、気難しい主だから、仕方のないことなのだが、俺がおそばにいきますと申し出る長谷部に、主は悩むそぶりを見せてから、他の仲間と飲んでいればいい、と遠回しに断って、宴席で隣に呼ぼうとはしない。断られるたびに、長谷部はハンカチを(持っていれば)噛みちぎらんばかりの形相で呼ばれた刀を睨みつけた。
 とどのつまり、主は筋肉質で大柄で、いかにも荒くれっぽい雰囲気の男士が好きだった。光忠は性格が優しすぎるし、絵にかいたようなイケメン、って感じのところが食指が動かない、でも体はいい、と言う主に、長谷部とちがって燭台切はがっかりなんて微塵もしなかった。
「お眼鏡にかなわなくて残念だよ」
 皮肉たっぷりに言う燭台切の攻撃も、体はいい、と主は繰り返すだけで、効果もなかった。

 そんな燭台切の複雑な内心も知らず、長谷部は「燭台切および、主に寵愛されている刀どもが心底邪魔だ」と闘争心をふつふつと煮えたぎらせているようだった。顕現当初こそ、なぜ寵愛をいただけないのかと考えうる限りの手段を使って主の気を引こうとした長谷部だったが、刀剣男士は体格の変化が非常に微弱で、人の形という「定型」に魂を注ぐ形で顕現しているのだから、たとえ自分がいかに鍛錬を積もうが、多少の変化しか生まれないと分かってからは、何とか別の方法はないものかと思案を続けている。熱心でいいことだが、燭台切はなぜあれほどの熱意をもって主の寵愛を求めるのだろう、と長谷部の想いを真には理解できないでいた。

 へし切長谷部の焦りをさらに加速させた原因は、主が定めたある集会だった。
 前述したとおりの経緯で、燭台切たちの主は、「体つきががっしりした大柄な男」が好きだ。そんな主は、本丸がいくぶんか成長すると、特定の刀のみに個別に声をかけ、ある集会を行うようになっていた。
 その集会の名は、「プリズナー・トレーニング・クラブ」。
 主直々に指名のあった男士しか参加できない、秘密のクラブということで、発足当初こそ呼ばれる・呼ばれないで男士たちの間にひともんちゃくあったものだった。だが、クラブへ招かれた男士たちをずらりと並べて、誰しもが納得することになった。
 どれも、大柄で肉厚な胸筋を持つ刀ばかり。結局主は根源的に、「大柄な男」が好きなのだから、仕方がない。
 しかし、体つきが似ているからといって、彼のイリノイ州でのロマンスを凌駕する出会いはいまのところないようで、あくまで主と男士という関係の域を出はしないが、そこは審神者としての権利と言えるだろうか(所蔵物、という意味で、男士は審神者の自由になってしかるべき、という考えで言えばだが。燭台切は当該の集会について主を「職権濫用」と頻繁に揶揄している)。主は体つきが好みの刀剣男士をひとところに集めて、トレーニングの会を発足させた。燭台切にもお声がかかり、主が「筋力トレーニングの会だ」というので、実りある会だと思って参加を快諾したのが間違いの始まりだった。
 クラブ初回の日、集められた男士を見て、察しのいい者はだいたい意味が分かったようだが、悲しいかな、筋肉自慢の刀はこういうことに察しが悪い者のほうが多く、「筋トレ会なんて実に有意義だ」と前向きにとらえている刀が大半だった。
 「ねえ、主、この会って……」
 まさかとは思うけど……、という顔で、おそるおそる尋ねかけた燭台切を無視して、主はその場に集まった刀たちに、トレーニングウエア支給する。と、体にピッタリ張り付く上下そろいのトレーニングウエアを配布した。

 太もものあたりで布が終わる、ストレッチ素材のハーフパンツと、胸や背中のラインがくっきり出るトレーニングTシャツ。陸上アスリートが空気抵抗を極限まで低くするために着るものらしい。あの、これサイズ……、と口をはさめる雰囲気でもなかった。筋骨隆々とした男たちが閉め切られた夜更けの道場にあつめられ、そろいのトレーニングウエアを着て、主のもとに集まっている。呼ばれていない刀は来るなと明言されているため、呼ばれていない刀は道場にさえ近づけなかった。初回トレーニング会の直前にそれを朝礼で発表した主のおかげで、その日は一日中事あるごとに長谷部から廊下で肩ごとぶつかられることになった。
 主も、支給したウエアのようなパツパツピチピチ姿ではないが、ジャージのようなものを着ている。
「……何か、蒸し暑くないか?」
 隣にいた長曽祢虎徹が耳打ちしてきた。燭台切も、道場に入った瞬間、顔をむわっと撫でた熱風に、当然気づかないはずがない。道場の中はサウナ状態で、着替えただけで汗がにじんだ。
「空調の故障かな? 僕、見てくるよ」
 そう言って、道場を出ようとした燭台切に、主から声がかかった。これはこれでいいのだという。部屋を、耐えられる程度に温かくして、汗をかき、デトックスする。そういうことを主は説明した。
「ぬしさまも汗を。大丈夫ですか」
 長い、ふさふさした髪を一つに結んで、小狐丸はスポーティな風貌になっていた。石切丸、岩融、小狐丸は呼ばれたのになぜ自分は呼ばれないのか、と今剣は憤慨し、三日月はよよよと泣きまねをしたが、来ない方が正解だったように燭台切は思う。
 主は顎からしたたる汗をぬぐって、大丈夫、では始めよう、とトレーニング会の開始を告げた。

 プリズナー・トレーニング。元は、囚人が自由時間の間に、自らの身を護るため筋トレに励んでいたことが発祥となり、「器具を使わない」「肉体のみで、極限まで負荷をかける」、厳しく野性的なトレーニング法である。
 主は当然、現地にて、民間人向けにデフォルメ化されていない「プリズナー・トレーニング」を目にしていたし、彼が貧弱なジャパニーズであることを憂え、自分の目の届かない場所でレイプされてはことだと、彼の愛した男が自ら教えてくれたものらしかった。主は刑務所内では毎日このトレーニングを実践していた。あいにく、彼は体質的に筋肉がつきにくいのか、体は引き締まったが、筋骨隆々、ムキムキに……、とはいかなかったらしい。
 小さい頃の、三島由紀夫みたいにガリガリだった。主は自分の過去の見てくれをそう自負する。大正から昭和を活躍した文豪、三島由紀夫が幼少期「アオジロ」とあだ名されるほど貧弱だったところを、敗戦直前に自衛隊への体験入隊以後、ボディビルと出会い体を鍛えることに熱中したのと自分の変貌を重ねているのかもしれない。
 ――もともと肉体的劣等感を払拭するためにはじめた運動であるが、薄紙を剥ぐやうにこの劣等感は治って、……。
 と、三島の「ボディ・ビル哲学」を紐解いて、主は文字通り「薄紙を剥ぐように」、肉体的コンプレックスを脱却し、監獄で体を作ったのだ。だから、筋肉がしっかりつかなくても、自分の身体について恥じる気持ちはいまやない。
 だが、当然、鍛え上げらえた肉体への憧れは残る。自分を抱いた男として〈カルロス〉を愛したこと以上に、自分は体つきの美しい、均整のとれた、ともすれば息苦しいほどのがっしりした雄々しい体格に、あこがれるのだ。主はぼそぼそそう説明して、それから、まず自分が手本を見せる、と道場の床に手をついた。

 最初はプッシュアップ、つまり腕立て伏せからだ。プッシュアップだけでも何種類ものトレーニング方法があることを、燭台切は初めて知った。最初は軽口を叩いて、主の言うことにリアクションする余裕があった刀剣たちが、みな体をてらてら汗で光らせて、ぎらぎら目を光らせ、無言になっていた。燭台切もその一振りだ。ただ前を睨み、頭を上げ、顎から滴る汗がすぐ真下のマットに水たまりを作っている。滑るとバランスを崩すので、こまめにタオルでマットを拭く必要が出てきた。できるだけ動作を減らし、プッシュアップのみに集中したいが、仕方ない。
 主は最初の数回でフォームを教えたあとは、あぐらをかいて座ったまま、ほてって湯気の立つ頭へタオルをかけて、じっと刀剣たちがずらりと並んでトレーニングしている様子を見つめているだけだ。口を半開きにし、睨むような鋭い飢えた目つきで、何も言わずにじっとカウントだけしている主の様子は異様としか言いようがなかった。彼の視線が、肌の上を這いまわっている。隆起する筋肉のスジ、体の中でぶちぶちと筋肉の繊維が疲労でねじ切れ、むくむくと成長しているさまを、主は透視いているみたいだった。
 通常の腕立て伏せを終えると、次はナロープッシュアップ。両手をぴったり重ねて顎の下にそろえ、そのままプッシュアップする。これが腕の筋肉を非常に使って、通常の腕立て伏せとは違う場所にキいた。戦闘で鍛えられた筋肉は確かに頑強だが、このように、トレーニング目的で、ピンポイントに痛めつけられると、キツいものはキツい。しかし、主の面前で、誰一人弱音を吐かぬ状況で、当然「もうキツいです」ということなど許されなかった。
「トレーニングなんざ気が利く集まりじゃねえか」
「楽しみだよなー」
とか言い合って笑っていた同田貫、御手杵や、
「これほどの人数で主殿自ら修行の場を設けてくださるとは有り難い!」
 と、カッカッカッと上機嫌に笑っていた山伏でさえ、一言も話さない。一点に集中し、汗を帯びて、主のカウントだけを聞いていた。
 出陣前でも、これだけ研磨された、ピリピリした空気を感じることはなかった。命がかかっているからこそ、気楽に行こうという気持ちを大事にする刀もいたし、それは個々の信条によるところだ。だが、今は違う。脱落は許されないし、脱落は「恥」でもあった。己の、男としての誇りを守るために、誰もが会話をやめ、他人を気に掛けることも、場を和ませようとすることも忘れた。
 和泉守の、高く結った黒髪が、汗に濡れて背中からするりと落ちていく。顔やいでたちはうつくしいが体は猛々しい、と主に評された太郎太刀、次郎太刀も無言だ。太郎太刀はともかく、次郎太刀が一切しゃべらないのはまさしく異様と言えた。
 ナロープッシュアップのあと、ヒンズー・プッシュアップ。これが気が狂いそうなほどキツい。腕立て伏せの体勢を取った後、頭から腰を床すれすれに後ろへ引いていき、腰を高く持ち上げる。ヨガの太陽礼拝において多用されるダウンドッグというポーズに近い、と主曰くだが、燭台切はダウンドッグ、とやらがわからないので、とにかく主の言う通りに動いた。
 呼吸が浅くなるのを、必死に胸まで空気を入れる。フウッ、と深く息を吐く音を、滴る汗の熱を、主の目がじっと追っている。ヒンズー・プッシュアップのあとは、ワンハンズ・プッシュアップ。文字通り片腕で行う腕立て伏せだ。これを左右両方やったあと、最後の仕上げはプランク・アップ。両手を床につき、体を板のようにまっすぐさせた状態で、両肘を床へ下ろしていく。どのプッシュアップでもそうだが、下ろすときはゆっくり、上げるときは素早く。主のカウント通りにやらねば、回数が増やされた。
 地獄の連続プッシュアップのあと、インターバルをはさんでも、誰も会話しなかった。汗をぬぐい、ドリンクを飲んで、ただ次のメニューに耐えられるよう、気を引き締めている。普段、どちらかといえば和気あいあいとしているこの本丸で、こんな空気感は珍しい。
 インターバルのあと、レッグレイズ、またインターバル、最後にスクワット、そしてクールダウンストレッチで全メニューが完了されたとき、この「プリズナー・トレーニング・クラブ」について正直胡散臭い印象しか持っていなかった燭台切は、想像だにしていなかった異常な爽快感を纏っていることに気が付いた。蒸し暑い道場から外へ出たときのあと解放感! 体にある痛みも、その後二日休ませることで、超回復し、新しい筋肉を作り出す。クラブは絶対に連日は行わない。筋肉を休ませることによって、筋肉繊維が以前より強靭に復活する「超回復」を狙うのだ。主の舐めるような視線は気になるが、それにしてもいい会だった。こんなにすがすがしい気持ちになったのは初めてだと、トレーニングメンバーは大浴場で汗を流しつつ、さっきまでの無言は何だったのかと思うほど、盛り上がっていた。

 トレーニングの後の、熱いシャワーといったら! 気持ちいいこと限りなしである。燭台切は、参加できるメンバーに限りがあることをなんとなく残念に思いつつ、それでも、主に招待されたことをもう不信だとは思わないようになっていた。

 当然、面白くないのはへし切長谷部だ。特定のメンバーだけが呼ばれる汗くさい会に自分が呼ばれていないことは無論のこと、参加しているメンバーたちが日に日に自己研鑽を高め、クラブのあと決まってすがすがしい顔をしているのが、長谷部の気持ちを逆なでする。
「一体クラブで何をやってるんだ」
 と、長谷部に詰め寄られて、燭台切は言葉を濁した。他言無用、と言われているわけではないが、主のあの視線へのひっかかりのせいで、なんとなく燭台切は明言を避けている。
「ん~~~、だから、ただの筋トレだって」
 長谷部にしつこく詰め寄られて、降参した御手杵も、それ以上のことは言おうとしない。ただの筋トレ。ただの鍛錬。ただの修行……。誰からもそう答えられ、長谷部のイライラは目に見えて募っていた。

   (二)秘密の鍛錬

 長谷部に転機が訪れたのは、ある演練の日だった。出陣、遠征部隊が出払い、その日は燭台切を主将とし、隊に長谷部ほか四振りを置いて演練に出ていた。演練自体はつつがなく終わったのだが、そこで、三戦目の相手の山伏からおおっ、と驚かれたのがきっかけだった。
「素晴らしい上腕三頭筋であるな! ……それに、燭台切殿、普通の燭台切光忠よりやや大きいか……?」
 相手の山伏から体格についてそう褒められて、ようやく燭台切は気が付いた。週に二回のクラブを丸一年継続し、我が本丸のクラブ・メンバーは、どうやら体つきに影響があるほどの筋肉量になっているらしかった。
「わ、ほんとだ! 燭台切さん、個体差かな? 普通より大きいよね?」
 山伏の後ろから、乱藤四郎が驚き顔で顔を出す。すごーい、蜻蛉切さんくらい筋肉ある、と腕をぺたぺた触りながら、乱は興奮気味だった。いや、蜻蛉切くんはもっとあるよ、と謙遜した燭台切に、話を聞いていた鯰尾に引っ張られ、相手本丸の蜻蛉切が並べられた。
「ほ、本当だ……!」
「二の腕が同じくらいある……!」
 ざわついたのは相手の隊だけではない。こちらの隊も同様だ。燭台切を将として、長谷部、今剣、大倶利伽羅、謙信景光、浦島虎徹という編成で、クラブの内実を知っているのは燭台切のみだったが、誰の脳裏にも、
「プリズナー・トレーニング・クラブ」!
 ……それが閃いた。

「燭台切燭台切燭台切ィ!」
「ちょっ、ちょっと、待って、待ってよ長谷部くん!」
 落ち着いて! 燭台切は、演練から本丸に戻るなり、襟首をねじるようにつかんで、鬼の形相で迫って来たへし切長谷部をなんとか落ち着かせようと試みる。だが、今の長谷部はにっくき宿敵・ルパン三世を追い詰めた銭形警部のごとくである。バッカヤローそいつがルパンだ! と叫び散らかした銭形警部の顔と同じ形相で詰め寄られ、絶体絶命の燭台切には、あいにく逃走用のパラグライダーも、凄腕のガンマンも、何でも斬ってしまう侍も、フィアット500もついていなかった。
「落ち着きなって」
「これが落ち着いていられるか! 貴様、主の招集する会で成果を上げたから、体が大きくなったんだろう!? ということは、俺にもチャンスはあるはずだ。今主のお眼鏡にかなわぬ体格でも、トレーニングさえすれば、主は俺に目をかけてくださるかもしれない……!」
「別に主は長谷部くんに目をかけていないわけじゃ……」
「だが主は、なぜ俺を呼んでくださらないのか聞いたら、……! 長谷部は細いから、……と……」
 ぐず、と洟をすする音が聞こえて、ぎょっとした。両手をあげて、降参のポーズで襟首をゆすぶられている燭台切は、恐る恐る長谷部を見下ろす。つむじがきれいな形だな。……なんて思っている場合ではない。長谷部は目をうるませ、悔しさのあまり、男泣きしていた。
「は、長谷部くんは君が思ってるより細くはないと思うよ……! ちゃんとしっかり筋肉がついてるし、」
「主のお眼鏡に敵わないなら多少の筋肉など意味がない!」
 ワッ、と髪がなびくほど怒鳴られ、燭台切はのけぞった。
「ねえ、君、そんなに主に好かれたいのかい」
 怒鳴られすぎたせいか、理不尽な怒りをぶつけられていることへの反発か、正体不明のむらむらした怒りが、燭台切の中にもこみ上げてくる。なぜこんなに主、主、とこだわるのだろう? 主がどうだっていいじゃないか、と燭台切はムッとくちびるをへの字に曲げた。
「当然だ! 主の寵愛以外、俺は眼中にない」
「へえ、そうかい。仲間との連帯とか、絆とか、そういうのは二の次って言うんだね? 僕が君のことを仲間としてとても尊敬していたって、君はそんなのどうでもいいっていうんだ?」
 ムッとした勢いで、燭台切も言い返してしまう。長谷部はいつも穏やかな、たいていのことは笑って済ませる燭台切が噛みついてきたことで、いよいよぎょっとして、火がついた。
 カッ、として、頭に上った熱も、すぐに冷めた。ぐい、とジャージの袖口でうるんだ目をぬぐった長谷部を見て、急に怒りの気持ちがさめてしまった。
「ご、ごめん。言いすぎたよ。主はメンバーを増やすつもりがないみたいだけど、できるだけ僕が協力して……」
「…………言ったな?」
 泣いていたはずの長谷部の目が、ぎら、と光った。やられた。直感的にそう思ったが、時すでに遅すぎる。
「……いま、言ったな? 確かに言ったな? 協力すると……」
「え、あ、うん、……そうだね……」
「よし。ならば協力してもらうぞ。主に呼んでいただけないなら、呼んでいただける体になるだけだ! 俺にもトレーニングの内容を教えろ。一年鍛えた貴様が体に変化があったんだ、貴様のメニューを二倍にすれば、半年で俺は太刀にも負けぬ体格になれるかもしれない……! 武士に二言はないな?」
 ないよな? 二言あらば切腹だぞ? などと畳みかけてくる長谷部の圧力に負けて、燭台切は、「は、はい」と答えていた。もしもへし切長谷部が、訪問販売員として顕現していたら、彼はまたたくまに営業成績を上げただろう。そう思うほどの迫力だった。

 そういうわけで、燭台切は長谷部とともに、クラブの翌日に秘密の鍛錬を行うという約束を取り付けられた。クラブで燭台切がやったメニューを、そのまま長谷部に伝授しろというのである。バレたらどうなることか、と燭台切は内心ひやひやしながら、しかし、長谷部と二人で鍛錬するのは不思議と悪い気はしない。
 燭台切は、せっかくなので支給されたトレーニングウエアを持って行くことにした。体が大きくなったせいで燭台切は椀サイズ上がり、以前着ていたものは箪笥の中に眠っている。長谷部にもトレーニングウエアは必要だろう、と、よかれと思って二着持参した。
「これ、会で着てるやつだよ」
 寝間着の着流しの下に、燭台切はウエアを着て赴いた。着流しを脱ぎ落し、畳の上にマットを敷いた燭台切を上から下まで見て、長谷部はごくりと喉を鳴らす。
「どうしたの?」
「……いや、……ずいぶんピタピタしてるなと思って……」
「ああ。アスリート用なんだって。空気抵抗を少なくするとかなんとか……。鍛錬中は部屋を暖めてやるんだけど、さすがに畳の上だし、温度はこのままでやろう。十分効果はあるはずだから」
 君も着て。と、ウエアを渡すと、長谷部は額まで真っ赤になった。これを着るのか!? と狼狽した様子だったが、すぐ思い直し、これも主のため、と長谷部はウエアに着替えることを承諾した。
 着替え終わった長谷部を見て、燭台切は心臓がぎゅうっとわしづかみにされたかのように感じ、衝撃を受けた。今の燭台切よりワンサイズ下げてもややゆとりがあるようだが、太もものラインをくっきり浮き出させるハーフパンツ、胸や肩、腰回りの肉付きをまざまざと見せつけるトップス。動きやすいな、と長谷部は案外ご満悦のようだが、燭台切は呼吸が止まっていた。

 ……エロすぎる!

 エロすぎる、というストレートな感想が胸に沸いたのは、これが正真正銘初めてのことである。長谷部に対して抱いている、気が合いそうだな、という気持ち、でも話は合わないかな、と引っかかる気持ち、凛々しい目つきをとても格好いいと感じるかたわらで、主相手には取り繕った猫なで声を出せる転身の早さをあっぱれと思い、刀剣相手には厳しく声を荒げて、ときおり仲間とワーワーやっているさまをかわいいなと思う気持ち……。そういったいろいろな絡み合った彼への想いが、「劣情」だったのだ、と端的に理解したのがこの瞬間だった。
 そして、燭台切は理解した。
 徐々に本気度を増し、ついにダンベルや、プルアップ用の鉄棒などが配備され、本格的に監獄めいてきていた道場で、トレーニングに明け暮れる刀剣男士たちを見つめる主の目の意味だ。主にはとっては懐かしい、薄暗い鉄格子のなかで、コンクリートのでっぱりに指をかけ、腕の力だけでプルアップを何度もしていた〈カルロス〉の姿が、刀剣男士たちに重なった。
 あれは劣情だったのだ。
 行き場のない、愛する男を失ったせいで、どこにもぶつけられなくなった劣情だったのだ。

「さ、さあ、長谷部くん。マットの上に両手をついて。まずプッシュアップ……、つまり、腕立て伏せから始めようか」
「ああ。 よろしく頼むぞ」
 長谷部の目は希望に満ち溢れている。そんな穢れなき、まっすぐな彼のことを、「なんだその尻は。けしからん丸みだ。めちゃくちゃに揉んでやりたい」「ぷりぷりの二つのかわいい丘」「股のあたりに目をやったら正気でいられる気がしない」「ああっ、そんなに足を開いたら見え……」なんて思って眺めているとは当然言えないので、燭台切は心の電源を完全にシャットダウンして、スリープ状態で省エネモードに入るしか選択肢はなかった。
 
 一時間もすると、長谷部は息があがり、いい具合に体があたたまってきた。トレーニング前後のストレッチが大切なんだ、とそれまで心を無にしていた燭台切は、マットの上で「いい汗をかいた。トレーニングはいいな」と笑っている長谷部の肩に手をそえ、前屈をサポートする。軽く触れただけのつもりだったが、長谷部がびくっと皮膚を震わせた。
「だ、大丈夫?」
 ごめんね、と手を放すと、長谷部はサッと赤くなったが、「問題ない。いきなり手が触れたから、驚いただけだ」と、ごまかした。
「ゆっくり深呼吸しながら、体をほぐそう。クールダウンしないと、かえって体にはよくないんだ。ほら、こことか……」
 こわばってる、と言いかけた燭台切が、開脚した長谷部の足の付け根あたりに手を置いて、彼の背を倒させたとき、
「……んぁっ」
 長谷部がうめき声を上げた。
 うめき声、なんて生易しいものではない。色っぽい、いやに高い声だ。うっかり、喉から出てしまった、というような声。長谷部はそんな声が自分から出てしまったことを恥じたようで、ごほん、と咳払いして、何もなかったようにふるまう。燭台切は慌てて手を外したが、ドク、ドク、ドク、と心臓が早鐘のように鳴り始めている。
「あ、……ごめんね。きつかったかな」
「いや、……大丈夫だ」
 二人の間に流れたなんとなく不穏な、気まずい空気は、その後も完全には払拭されなかった。そそくさとストレッチを終え、燭台切は逃げるように部屋を出た。

 その夜、燭台切は初めて〈アレ〉をやった。何度もこのような話題で引き合いに出して申し訳ないが、かの三島由紀夫が「悪習」と評した〈アレ〉。
 そう、マスターベションである。終わったあと、燭台切に残ったものは、手のひらにべったり吐き出した自分のねっちょりした体液と、それから、俗に「賢者タイム」と呼ばれる絶望的な虚無感だった。

 秘密の鍛錬は、しかしその後も続いた。お互いに引っ込みがつかなくなったというか、やめようと言えない空気が流れはじめていた。最初はトレーニングメインだったのが、徐々にストレッチの時間が長くなっていき、重なりあって、お互いの身体を押し付け合い、ハアハア言っている方が長くなってきたころ、長谷部が燭台切の胸板を見つめて、
「いいな……。なぜおまえはそんなに胸板が厚いんだ? 俺もこのくらい大きくなれば……あるいは……」
 と、ぼうっと言った。
「……大きくしたいの?」
「……ん、ああ」
 燭台切の中に、もしも天使と悪魔がいたら、今頃彼の脳内は抜刀沙汰の大騒ぎになっているはずだ。
 天使の光忠いわく、
「ねえ、一体君何を考えてるんだい! 長谷部くんを見てよ。彼は純粋に、主に好かれたい一心で、トレーニングをしてるんだ! 君は勝手に彼に下心を爆発させて、彼のおしりの形を思い出しながら部屋でマスかいてるみたいだけど、君って自分のことを恥ずかしいと思わないのかい!? その上、君はこの据え膳を食わぬ手はないと思って、彼のその控えめで小ぶりなおっぱいにまで……魔の手を……!」
 わなわな震えながら叫んでいる。一方、悪魔の光忠は、
「なんだい、君だって。長谷部くんのぷりっとしたあの形のいいおしりを見て興奮してるんだろう? 自分があのおしりにめっぽう弱くて、見るだけでフル勃起しそうなのを抑えてるのは自覚してるんじゃないのかい? 必死で理性を働かせないと長谷部くんに襲い掛かってしまいそうな衝動を抑えて、このまま何もせず手をこまねくだけのつもりなのかい? 彼が他の誰かにとられてもいいの? それにもし、彼が見事にパンプアップすれば、トレーニング・クラブに入会することもあるかもしれない。そうすれば、彼のあの形のいいおしりが主の目に……」
 そう、耳もとでささやく。悪魔のささやきをみなまで聞くまでもなく、燭台切は(アアアアアアアーーーッ)と、声なき声を上げていた。
「大きくしたいなら、……方法があるよ」
 ぬう、と自分の前に立ちふさがる、一振りの太刀を見上げて、長谷部はふたたびごくりと喉を鳴らした。

   (三)消え去れ天使

 背後から長谷部に体を密着させ、彼の汗ばんだ体に手を這わせる。汗が……、と長谷部はわずかにうろたえたが、これも鍛錬のうち、と思ってくれているのか、それ以上何も言わなかった。燭台切は、息が上がりそうになるのを必死で抑え、長谷部の胸に手をすべらせる。
 トレーニングウエアの上から、彼の乳首のあるあたりを指でくりくりとこねると、長谷部が身をよじった。
「な、なぜそんなところを……!」
「だって、……長谷部くん、ここを触ったら体がピクッと反応したでしょう。ここが繊細で、弱いつくりになってるからなんだよ。だからこそ、トレーニングが必要なんだ」
「こんなところまで、トレーニングするのか……!?」
「ああ。ほら、プルアップをすると、限界が近づいたとき腕がヒクヒクするだろう? プランクの姿勢で長時間耐えていると、だんだん腕や足がヒクついてこないかい? それは、その筋肉にキいている、ということだ。体感でわかるよね?」
「あ、ああ……。そうだな……」
 僕は一体何を言っているんだ、と自分でもわけがわからない理論だが、長谷部はどうやらなんとなく納得してしまったらしい。彼のセールストークに燭台切が気おされたように、追い詰められた虎はどんな理論武装を繰り出すかわからない。突然謎理論をぶつけられた方の驚きは、それ以上のものだ。
 主の生い立ちをさんざん聞かされていたいせいか、燭台切にとって、男に対して劣情を抱く、というのは、異様でも、背徳的でもない、「誰にでもあり得る」ものだと受け取っていた。現に、二二〇五年にもなると、現世ではセクシャルマイノリティという言葉さえなくなり、恋愛にはジェンダーが関わらないことが当然という風潮になっているらしい。だからというかなんというか、燭台切が長谷部に対して抱いていた特別な気持ちが、スムーズに下半身にもダイレクトに影響を及ぼすことは仕方がないことだろう。
 だが、長谷部はどうだ。燭台切は、長谷部が烈しい拒絶を示さないことに驚いていた。自分からセクハラ行為に及んでいる立場でめったことは言えないが、長谷部はこの手のことに対して、主のあけすけな身の上話を聞いても、気まずそうに顔を赤らめることはあっても、興味津々、ということはなかった。その長谷部が、身じろぎしながらも、嫌悪感も、抵抗も見せない。一体俺はどうなるんだ、という表情で、じっと成り行きに身を任せているばかりだ。
 そんな長谷部のせいで、なんていうと責任転嫁甚だしいが、もはや燭台切の野生が、理性を上回りつつあった。据え膳食わぬは男の恥、なんて、脳みそが下半身でできているヤツの愚かな言い訳だと思っていたが、先人の経験の上で、こうした慣用句が生まれているのであろう。
 燭台切の脳内に棲む天使がやかましく騒ぎ立てている。
「ダメだよ! 欲望に負けちゃいけない! 君、長谷部くんのことを好きだって、つい最近自覚したばかりじゃないか! こんな形で始まった関係の末路はひとつしかない。そう、セフレだよ! セックスフレンド、つまりは体の関係のみを目的とするオトモダチだ! セフレは本命になることはできない、って、そんなこと君が一番分かってるだろう? セフレの役割はセックスだけなんだ。万が一、まかり間違って君が、セフレとなってしまった長谷部くんに〈君としたいことは本当はこういうことじゃないんだ〉なんて言ってごらん。彼の心が主に向いているとしたら、君は最悪に重い男だよ。セフレ関係を望む相手にとって本気の恋をしてくる相手ほど重くて面倒なヤツはいない……、君、自覚あるのかい?」
 ああっ、うるさいなあもう!
 的を射すぎている、天使の燭台切の声が耳に痛い。燭台切はぶんぶん頭を振った。
 わかってるさ、痛いほどわかってる。燭台切は半狂乱で、天使の声から耳をふさぐ。わかっている。この恋をもしもうちょっと早く自覚出来ていれば、トレーニングウエアを着用し、お互いに汗だくになりながらの妙な状況から関係を深めるのではなくて、遠征先で花を摘んできたり、君の目はきれいな色だねとか髪が繊細な手触りだねとかあれこれ褒めてみたり、思いつく限りのことをして、遠征先でシロツメクサの花の指輪を作って贈り、手作りのお弁当を食べながら、「君のことを好きになっちゃったみたいだ……」なんて、桜の木の下や、菜の花の大群の中で告白するまで念入りにシチュエーションを決め、外堀をコンクリートで舗装した上で完璧な状況を作っただろう。
 それができれば、の話だ。気づいたころには自分たちはトレーニングウエアを着ていて、謎の筋トレ補修を始めていたのだ。仕方がない。仕方がない! 恨むならば、気づくのが遅かった過去の自分を恨むしか手立てはない。
 そうこうしている間にも、燭台切の手つきに、長谷部は完全に身をゆだねつつあった。両手で長谷部の筋肉質な胸をもみこむ。実は、本当に仕上がった筋肉というのは、ふわふわに柔らかいものになる。現に、トレーニング・クラブ内でも仕上がったカラダ代表格の、山伏や岩融、蜻蛉切などは「もはや〈おっぱい〉じゃん」と思うほどふかふかの胸筋に育っている。包丁藤四郎の目つきが二百周回っておかしくなってきたのもそのせいだ。
 長谷部の胸はまだまだ固い。しっかりと凝縮された筋肉が、限られた体積の中に均等に、バランスよくつめこまれているという感じの、無駄のないしなやかな体つきは、長谷部の美しさの一つだ。カモシカのようにすらりと伸びた足は、彼の俊足を思わせるし、それにこの、くりくり爪でいじるとたまらずツンと立ってしまって、ウエアを押し上げる長谷部のかわいい乳首は生娘のごとく……。
 天使の光忠が、本体の頭をぶんなぐった(ように思った)。ハ、と我に返るが、手はまだかりかり長谷部の乳首をひっかき、指でぷにっとつまみ、ふっくら立ち上がった柔らかい乳首をやさしく弄っている。乳輪のまわりをゆっくりなぞって、乳首から手を放すと、長谷部の身体が切なく反応した。
「……ウエア、……くっきり、うつってるね」
 ほら、と、長谷部の乳首がウエアの下で主張していることを告げると、長谷部はカアッと赤くなったが、不明瞭なうめき声をあげるだけで、何も言わなかった。
「直接、触っていいかい」
 ぼそ、と耳元でささやくと、長谷部はこくこく激しく頷いた。

 ウエアの下には想像通り、熟れたピンク色の乳首が息づいていた。ぷる、と揺れそうなかわいい乳首だ。外気に晒されて、いよいよ恥ずかし気に、それでいておしゃまにツンと立っている。
「うっ、……くそ、……そんな、触り方……ッ」
 長谷部が小声で抗議するが、燭台切は手を止めない。ツン、ツン、と爪先でくすぐって、指でつまんできゅっとひねる。はうっ、と長谷部が息をのみ込み、くちびるに手の甲を当てて耐えた。
「ほ、本当に、こんなことで、大きくなるんだろうな……!」
「うん、なるよ。大丈夫」
 自信満々の断言も、ウラ取りが全くできていない場合であったって、ハッタリとしては必要だ。燭台切は、シロツメクサの指輪のことなんてもうすっかり頭からはじけ飛んでいる。
「な、なんか、お、おかしい、燭台切……」
「大丈夫、だいじょうぶ……」
 乳首をいじるのに必死になりすぎて、燭台切は長谷部がもじもじしていることに気づくのが遅くなった。おかしい、と訴えて、燭台切の手をつかんだ長谷部が、奇妙にまたぐらをきゅっとしめつけ、隠すように足を閉じていることに気が付いて、燭台切は足を片手で広げさせる。
 開いた長谷部の足の間では、「もう限界」というふうに、パツパツのウエアを押し上げる、屹立した性器が存在感を主張していた。
「勃っちゃったの、長谷部くん」
「う、うるさい……ッ、貴様が、妙な触り方するから……! 不可抗力だ……!」
「……でも、ねえ、長谷部くん。トレーニングでこんなにしちゃってたら、クラブには入れないと思うよ」
 トレーニング・クラブでこんなことやってたまるか、と訴えている理性は捨て置く。このような状況で理性云々言うのはもはや野暮というものだ。
「……ッ! ど、どうすれば、……!」
「ひとまず、これを鎮めようか、長谷部くん……。このままじゃつらいでしょう? これ、どうやって鎮めるか、知ってるかい」
 長谷部はチラ、と燭台切を見て、
「…………まあ」
 と、居心地悪そうに答えた。
 あの清廉潔白を地でいく、エッチなことになんて一切興味ありません代表・へし切長谷部が、よもや自慰の仕方を知っているなんて! 燭台切の中の天使が爆発四散した気がする。それ以後、天使は一切姿を現さなかったから、本当に消え去ってしまったのだろう。悪魔は燭台切の耳元でヒヒヒと笑って囁いた。
「いいなあ。長谷部くん、ひとりでエッチなことできるコだったんだね……。見たいよねえ。そんな長谷部くんの乱れるトコ、見たいよね……」

 見たいさ。
 見たすぎるに決まってるだろ!

「見せて」
 燭台切が、じっと長谷部の目を見て言うと、長谷部はウ、と息をつめた。
「な、なんでだ」
「見たいからだよ」
「理由になってない!」
 かあっ、と長谷部は背後の燭台切を振り返り、ぎりっと目を吊り上げた。が、思いのほか互いの顔が近くにあって、ぎょっとする。燭台切も、長谷部が急に振り返ったせいで、彼の目とがっつり視線がぶつかって、硬直した。
 息遣いが聞こえる。吐息が混じるくらい近い。長谷部の目が、次第にうるんでくるのが分かった。引き潮が少しずつ海岸に寄せてくるように、乾いていた砂浜を濡らしていく。今度は燭台切が喉を鳴らす番だ。飢えたオオカミにとって、無防備な、その上おばあさんのお見舞いを控えていない赤ずきんなんて、絶好の食べごろでしかないのだ。
 あ。
 長谷部はそれだけ漏らした。燭台切はそのまま、彼のくちびるをふさいでいた。長谷部の身体はやや緊張したが、こわばったり、身じろぎしたりしなかった。汗ばんだウエアのまま、二人は互いをかきむしるように抱き合って、そして、ぴちぴちと肌にはりつくトレーニングウエアを脱ぎ捨てていった。

 おずおずと扱いていた手が、しゅこしゅこ、上下に滑らかに動くようになると、ややもすれば長谷部は燭台切の視線にさらされながらも自慰に熱中し始めた。歯噛みし、羞恥に耐える表情で、悩ましく眉を寄せている長谷部の表情がたまらない。
「んっ……ん、ん……っうあっ」
「やらしい……、長谷部くん、こんなこと、一人でシてたの……?」
「……お、男なんだ、仕方ない……!」
 はあっ、と息を荒げて、自ら強く握り込み、刺激を深める。ハア、ハア、と勃起した自分のモノに目を向けたまま、頬を紅潮させて扱く長谷部を前に、燭台切のウエアの下半身は痛いほどはちきれて、膨らんでいた。
「いつするの、こういうこと」
「…………いくさの、あとだ……」
「ああ。分かるよ……、血がたぎっちゃうもんね……」
 ちゅこ、ちゅこ、と長谷部の手の中にぬめった音が混じり始めた。カリの先を透明に光らせて、ガマン汁がにじんでいる。イキたいよね、と燭台切が体を密着させて正面に座ると、長谷部の身体が震えた。
「や、は……、や、やめろ、……飛ばす、かも……」
「飛ばしていいよ」
 大丈夫。燭台切が距離をさらにつめたとき、長谷部の扱く手に、燭台切の膨らみがぶつかった。パツパツのトレーニングウエアを押し上げて、ミチミチに膨らみ、勃起した長大なイチモツを目にして、長谷部は、
「あっ……」
 と、感極まった声を上げた。半開きになったくちびるから、ヨダレがこぼれた。
 勢いよく、長谷部は射精した。手と、腹のあたり、それから燭台切のウエアの下腹部に飛び散った精液が、べったりと張り付いてゆっくり滑り落ちていく。
「す、すまん」
 謝った長谷部に、燭台切は目をギラつかせ、彼の手を握り、膨らんだ自分の股間に添えさせた。
「ウエア、汚れちゃった……。ね、脱いでもいいかな……」
 長谷部はごくりと喉を鳴らし、手をやわやわと動かして、燭台切の股間のふくらみを確かめた。でかい。顔に書いてある。しかも慄く表情ではない。彼の目にあるのは、確かに歓喜だった。

「んあっ、アッ、ああっ、ハ、はあっ、……!」
 長谷部の声が苦痛を帯びていたのは、最初のうちだけだった。指を増やすたび、長谷部のきゅうくつに締め付けるアナルが徐々に広がっていく。燭台切は、シロツメクサの指輪を諦めねばならないなら、せめてたっぷりの、長谷部曰く「気が狂うほど長い」丁寧な前戯で長谷部の痛みや負担を取り去ろうと苦心した。指がちょうど三本、入るようになった頃合いでキツキツの穴の奥を探り、こりこりと弾力のある丸い部分を探し当てる。ここが君のGスポット。悪魔の自分がにっこり笑う。長谷部ははじめ、ウッ、ウッ、と息を吐いて、その部分を押されるたびにびっくりしたような声を反射的に漏らすばかりだったが、刺激を繰り返すと、膀胱を押し上げる感触とともに、指の腹が前立腺をきゅぷっ、きゅぷっ、と押し上げるにつれ、悲鳴じみた、甘い声が出るようになった。
 指三本抜き放ったあとの、彼のアナルはしばらくぱくついて、閉じなかった。じっくりほぐした穴の入り口をじっと見つめている燭台切に、
「すけべ野郎、……み、見るな……」
 と、長谷部は力なく訴えた。
 ずい、と膝立ちになり、開いたままの長谷部のまたぐらに体を押し入らせた燭台切の、立派に屹立した〈モノ〉を見て、長谷部の身体がぶるっと震えた。
「怖いかい」
「ち、ちがう。武者震いだ」
「……もう、だめ、はちきれそう」
 ぺち、と尻を勃起したペニスが叩く。ウエアの下に息づくあのふくらみのせいで、さぞ立派だろうとは思っていたが、想像以上だった。長谷部は自分の尻をぺちぺちたたく凶悪なモノが、とろけた入り口に宛てがあれると、
「あんっ」
 と、恥さらしな、挿入を期待して発情したメスネコみたいな声を出した自分を恥じた。

 熱く高ぶったペニスで中を押し上げて、長谷部の一番感じる、開発されたての、ぷくぷくした丸くてかわいい前立腺を、的確にゴリュッ、ゴリュッ、と叩かれる。普段甘いマスクで、誰にも優しく、平等で、穏やかな男が、汗みずくで狂ったように腰を叩き込んでいる光景は、長谷部をゾクゾクと震えさせるに十分だった。
「あっ、ああっ、クッ……、い、いく、あっ、き、きもち、そこ、……おくっ、……あ、あああっ、あ、つよ、つよい、」
「はあっ、……ああ、はせべくん、……はせべくん……、あー……、すご、……しめつけ、すごいね、……!」
 濡れた髪が、燭台切の片目にうっとうしくかかる。それが気になって、気になって、気になって、あんあん声を上げて、体の奥を突きあげてくる極太チンポの感触と、否応なく喉から押し出される発情声を止められないままでも、長谷部は燭台切の前髪が気になった。
 ぱんっ、ぱんっ、とリズミカルに打ち付けられるスラストに合わせて、長谷部は手を、のばす。
「あ、まえがみ、あ……っ、ああっ、い、い、いき……っ、しちゃ、あああっ」
 前髪を指先で払った瞬間、燭台切のスラストが激しくなった。渾身の力で上からたたきつけてくる。長谷部は両足を、頭の両脇につくくらい持ち上げて、ふたつに折り曲げた体から噴き出す汗で、マットを濡らしていた。
「まえがみ、……なんだって……?」
 ハアー、ハアー、と燭台切は打ち付けながら、めらめらと暗闇に蜜色の目を光らせて、欲望のばけものじみている。長谷部はどんどん早くなる、絶頂へ向けての激しい打ち付けのせいで、何を尋ねられているのかもわからなかった。
「あっ、ああっ、ああーっ、いく、いぐっ、いくから、おく、おく、おく、ああっ、やば、やばい、へんになる、へんになる、へんになる……ッ!」
 ビクビクッ、と長谷部のつっぱった足先が、ピンと伸びて、ぎゅっと足指がまるまった。ぶるぶる内ももが震え、長谷部は強烈な射精感に脱力していた。

   (四)パンプアップ絶対阻止
 
 長谷部との、特別仕様・個別トレーニング・クラブ(時間外)を初めてしばらく経過した。燭台切は週に二度の、本来のトレーニング・クラブはもちろん、長谷部との時間外トレーニングのために日々をがんばっているのではないかと思うほど、充実した生活を送っていた。だが、同時に、一体いつ彼に好きだと言えばいいんだ、という焦りも当然膨らんでいく。自分が初めて彼とエッチしたとき自制心をコントロールできなかったせいで、燭台切はまんまと「セフレ」以上でも以下でもない、ドンピシャの存在になっていると言えた。
 攻略ルートを間違えた。
 燭台切は完全に頭を抱えている。そのくせ、長谷部との鍛錬をやめたいとは思えない。なんなら超回復なんてどうだっていいから、連日トレーニングに持ち込みたいくらいだ。いまや燭台切は、「へし切長谷部セフレルート」に突入し、君に本気なんだ、なんて打ち明けようもんなら、面倒な男だな、体だけ差し出していればよかったものを。とあっさり捨てられるだけの、「セフレに本気になってしまった哀れな間男」と化していた。長谷部との関係を続けたいなら、セフレ状態の現状に甘んじるしか方法はない。乳首トレーニングのかいあって、長谷部の乳首はいまやぷっくりと膨らみ、桜色に色づき、つつけば感じられる、完全に開発されきったものになっていた。
 さあ、どうする、僕。
 長谷部との関係に終止符を打つ覚悟で、彼に本気だと伝えるのか、このまま体の関係を続けるか……。悩みながら、それでも足は長谷部の部屋へ向かう。当然、着流しの下には、今日もウエアを着こんでいる。
「長谷部くん、入るよ」
 一応、入室前にマナーとして一声かける。向こうから返事は基本的にないが、声をかければ入っていいもの、と燭台切は理解しているので、返事を待たずに中へ入った。
「あ、き、貴様入るなッ」
 足を踏み込んだとたん、長谷部の叱責が飛んだ。思案にふけり、ぼんやりしていたせいで、燭台切は部屋に入ってからしか反応できなかった。
 中に入ると、すでにマットを敷いた畳の上で、長谷部が上半身裸になっている。彼は女性が湯上りにやるように、トレーニングウエアを抱えて胸元を隠していた。
「何かあったのかい?」
「くそっ、……もういい、ひとまずふすまを閉めろ」
 長谷部は、自分が大声を出したことは棚に上げ、シッ、と指をくちびるに添え、顎でふすま戸をしゃくった。燭台切は言われた通り、ふすまをそっと閉め、長谷部のそばに膝をついた。
「体が痛むのかい? 筋肉痛かな?」
 トレーニング開始当初は、長引く筋肉痛に悩まされたものだ。この間のトレーニングメニューはなんだったっけ、と思い返す燭台切を遮り、長谷部は赤面した。
「貴様のせいだぞ……!」
 自分に何も非はない(はず)なのに、突然噴火して、片手で胸倉をつかんできた長谷部に、燭台切はのけぞった。
「な、なにが? どうしたんだい」
 敵意がないことを示すため、両手を挙げている燭台切を憎々し気にねめつけて、長谷部はだんだん真っ赤になっていった。額の、髪の生え際まで赤い。中央分けにした、彼のミルクティーベージュの優しい色の髪でも、彼の発火した頬をやわらげ切れていない。
「き、貴様のせいで、こんな体に……ッ」
 くっ、と長谷部はくちびるを引き結び、おずおずと隠していた手を外した。トレーニングウエアに隠されていた胸を見て、燭台切はぎょっと目を見開いた。
 両乳首に、絆創膏が貼ってある。
 雷が落ちたような衝撃だった。こんなの、エロ同人でしか見たことがない光景だ。そんなばかな。あの清く正しい(口は悪い)長谷部くんが、両乳首に絆創膏を!? 絶句している燭台切を前に、何か弁明するべき、と判断したのか、長谷部は慌ててまくしたて始める。
「貴様のトレーニングのせいで、ち、乳首が……ッ、腫れたみたいに膨らんで、こすれて、たまらないんだ……! どうしてくれる! 俺はただ、筋肉をつけて、逞しい肉体になって、主に認めていただきたかっただけなのに……!」
 あ、あ、あ……。とあえぎあえぎ、切れ切れにどもっている燭台切の返答も待たず、長谷部は怒り狂って燭台切の首をしめにかかった。
「どうしてくれるッ! 責任をとれッ! 責任をッ!」
 手討ちだ、貴様の首を庭に飾ってやるゥッ、と怒鳴りはじめた長谷部の声のボルテージがどんどん上がって来たせいで、隣の部屋から壁ドンが来た。隣は確か宗三左文字の個室だ。思えば、だんだんヒートアップして盛り上がりを見せる、深夜の全日本プロレスの間、宗三左文字は部屋にいたはずだが、これまでのアレコレは隣にだだ漏れだったのだろうか、と思って青ざめた。首をしめられたせいで顔から血の気がなくなったのかもしれないが。
「長谷部くん、……それって、どんな風に……」
 壁ドンのおかげで手を放した長谷部から逃れて、燭台切は声を落とし、長谷部の胸に貼られた絆創膏を見た。長谷部はわなわな震えている。燭台切が彼の様子を伺いながら、かり、と絆創膏の端に爪をひっかけても、長谷部は止めなかった。
 ぺり……、と絆創膏をゆっくりはがす。ぺりぺり……、と長谷部の胸の薄い皮膚をひっぱりながら、絆創膏がはがれていく。半ばまできたとき、ぷく、と上を向いて、張り詰めた乳首が、外気に晒されてぷるんと震えた。
「あっ」
 絆創膏をはがす瞬間、長谷部の声が漏れた。こすれるだけで感じるらしい。熱心な乳首責めが、彼の乳首を根本的に作り変えてしまったのだ。燭台切は恐る恐る、ツン、と乳首を指ではじき、くりくりっ、と指の腹でこねた。
「あっ、……うあっ、や、やめろ……」
 感じる。
 長谷部は恥ずかしそうに囁いて、目を潤ませた。さっきまでの気迫はどこへ行ったのか、彼はならず者に体を奪われる前の生娘みたいに、わなわな震えていた。
「せ、責任、取るよ」
 ごくり。今度は燭台切が生唾飲む番だ。

 ちろちろと舌先で乳首をくすぐり、押しつぶすように舐める。長谷部は手の甲をくちびるに当てて、大声で喘ぎ出さないように必死で耐えている。長谷部はウエア姿の燭台切が好きらしく、ことがはじまると着流しを性急に脱がせた。
「す、すごい……、また筋肉がついたか……?」
 ぱんぱんに張った上腕三頭筋、背中にびしりと筋が走るくらいの、鍛え上げられた僧帽筋。長谷部はそれを手でなぞり、ウエアごしでもはっきりわかる肉体にしがみついている。
 もはやトレーニング会のおかげで、我が本丸は「突然変異」と言われるほどに、鍛え始めた男士たちの筋肉の質が目に見えて高まって来た。体格はさほど変わらなくても、腕まわりの筋張り方、体つきなど、細やかな部分に差が出ている。刀剣男士であっても、過酷な筋トレを継続的に何年も行えば、体型に変化があるようだった。
 そう。長谷部の乳首も同じくだ。
「くそ、もう、……舐めるな……っ」
「ね、すごい……もっとおっきくなってるね」
「だ、だから……、だめだって、」
「あれ」
 燭台切はするりと長谷部の太ももから手を滑らせる。ウエアの下の皮膚が、びくんっと震えるのが嗜虐心を煽った。長谷部のまたぐらへ手を当てると、そこははちきれそうになっていて、ウエアの下からペニスが必死に頭をもたげて押し上げていた。
「勃っちゃったね」
「……~~~~ッ、貴様が、しつこいから……!」
「……僕がしつこいのは今に始まったことじゃないだろ」
 ふくらみの上から優しく揉む。手のひらで全部を覆うようにして、タマまでだ。むに、むに、と睾丸を揉まれて、長谷部が燭台切の手をつかんだ。こうやって、タマを揉みながら、ウラ筋に沿って指を這わせる。これが好きなのだ、彼は。燭台切は全部知っている。
「んあっ、は、……っくゥ……」
「僕たち、トレーニングのために集まったのに、……こんなにしちゃってたら、今日はできないね」
「お、俺の、ッせいじゃない……!」
 最初は柔らかかった手の中の感触が、徐々に芯を持ってカタくなりはじめる。ふーっ、ふーっ、と呼吸を乱れさせ、長谷部はくちびるをへの字に引き結んで耐えている。燭台切の肩をつかみ、長谷部が「も、もう、……はやく、……!」と懇願したとき、燭台切の側頭部を、長きに渡り姿を消していたあの〈天使〉が思い切りぶった。
 天使の燭台切。てっきりもう消え去ったものとばかり思っていた。しかし、なんとしぶといことか、まだ生きていたらしい。
「君! 君は本当に見下げ果てたやつだ。それでも長船派の祖、誇り高き伊達家の名刀、燭台切光忠かい? またなし崩しに彼と関係を持って、欲望に流されて、そして君は一生彼の種馬セフレとして生きるんだ! 彼に本当の気持ちを伝えないまま、勃起したからって脳直でセックスになだれ込んで、結局踏み出せないなんて、そんなの意気地なしのやることだ! 君は卑怯者の上、意気地なしだ! 君は長船派の祖なんかじゃない、インモラル派の祖、意気地なし切種馬忠だ!」
 ぐさぐさと天使の言葉が胸に刺さる。いやだ。僕は長船派の祖、名刀・燭台切光忠でいたい! インモラル派の祖はいやだ! それよりなにより、体面を別として、燭台切は長谷部に自分の想いをちゃんと伝えて、気持ちが通い合った関係になりたかった。
 燭台切が突然うなだれて、股間を揉んでいた手を止めたことで、長谷部は呼吸をやや乱れさせながらも、「おい、どうした……」と怪訝そうに尋ねた。燭台切はゆっくり長谷部の身体から手を放し、「オーケー」と、燭台切の脳内の天使に、降参を示した。
「? どうしたっていうんだ」
「……長谷部くん。あの、……セックスしはじめると、ちゃんと言えないままになると思うから、……少し聞いてもらってもいいかい」
「……? あ、ああ、構わないが……」
 こんなに腹をくくって、緊張で体がこわばったのは、部隊の半分が痛手を負い、自身も中傷まで痛めつけられた江戸への出陣以来だろうか。ああいう経験を乗り越えて、今の自分があることを、こんな状況で再び思い出すとは思わなかった。あのときも、恐怖の理由は「選択を迫られた」からだった。自身もあと少しで戦線崩壊のなか、それでも身を捨てて進むか、撤退し、とにかく仲間の安全を確保するか。大きな選択を迫られたときのあの心臓がキュッとしめつけられる感覚は、何度経験しても慣れることがない。
 長谷部にもし、自分の想いを拒絶されれば、セフレ関係はもちろんとして、それまで築いてきた、同輩としての関係性も崩れ去るだろう。二度と復縁することはできないかもしれないし、普通に話せる日も二度と来ないかもしれない。それでも、言うのか? それでも、言えるのか? ……心は決まっていたが、どうしても恐れはぬぐえなかった。選択の結果、どのように相手が反応するか、そればかりは相手にしかわからない。

「……君を、好きなんだ。ずっと、前から……、その、こういうことを、し始める前から。ずっと。本気で。……僕は本当は、君とこういうことをするんじゃなく……、いや、こういうことも含めて、ではあるけど、……君と、その、恋人みたいに……おいしいものを食べたり、同じ景色を見て感動したり、新しい場所にいったり、……その、そういう、ことを、したいんだ」
 突発的に、衝動的に、「ちゃんと伝えよう」と決意したせいで、燭台切は珍しく、たどたどしく、言葉を選んで、つまずきながら、恰好つかない告白になった。
 長谷部は、しばらくぽかんと口を開けて、言葉を失っていた。彼がそんな顔をするのは、燭台切の告白があまりに意外で、あっけにとられているからだととらえて、燭台切はじわじわと指先がしびれてくる。ああ。言わなければよかったか? いや。言ってよかったんだ。後悔はない。たとえ、手ひどく拒絶されて、二度と口をきいてもらえなくなっても。

 返事を待っている燭台切のうつむいたつむじに、ボコッ! と拳が入った。目から星が飛ぶほど、遠慮のない強さだ。
「痛ッ!? 何ッ!?」
 思わず口をついて出た驚きの言葉を継がせずに、燭台切のパツパツのウエアをつかみ、ひっぱり、伸ばして、ぐらぐら揺さぶった。彼は真っ赤になっていた。怒りか、恥ずかしさか、それはわからない。
「言いたいことはそれだけかッ、……貴様……!」
 手近なところに本体がなくてよかった。長谷部の手の動きを見ればわかる。あれは、無意識に腰に差した刀を抜き放とうとする仕草だった。
「ご、ごめん、長谷部くん、不愉快なら……!」
「不愉快!? そうだな、不愉快だ! 非常に不愉快だ! 貴様、……貴様、この俺が、好きでもない輩と、……ただ衝動的に肉欲に陥っていたと思っていたのか? 俺を見くびるなよ。俺がそんなに軽薄に見えるのか!」
「え、あ、あの、……それって……」
 さすがに佳境、と察してくれたのか、隣室からの壁ドンはなかった。
「俺が、貴様を、どう思ってるか、知らないで……! 貴様は主に寵愛され、そばに置かれ、トレーニング・クラブなんざに呼ばれ、俺の知らない間に貴様が何をしているのか……、気が狂いそうな俺の気持ちが貴様にはわからないだろうな。せっかくこうして、あれこれ理由をこじつけて、回りくどいやり方をして、根回しして、俺がバカみたいじゃないか……」
 ドンッ、と胸を殴られた。だが、さっき頭を思い切り殴られたときよりはマシだ。抱きしめていいか、尋ねようかと思ったけれど、尋ねる方が無粋だと思った。ぎゅ、と抱きよせると、長谷部はわずかに身じろぎしたが、燭台切の肩に腕を回して、抱き返した。
「……ごめん……。ちゃんと君と話して、僕の気持ちを打ち明けてから、先に進むべきだった」
「……フン。別に。今こうなっているんだから、構わないんじゃないか。収まるところに収まった、というわけだ」
「あはは。なんだかずいぶん客観的だな」
 長谷部の、怒りで涙ぐんだ目をのぞきこみ、頬を指先でくすぐる。長谷部はその指にかみついて、れろ、と舌で舐めた。濡れた指先で顎を持ち上げ、口づける。今まで、セックスで汗まみれになった状態でしか撫でられなかった長谷部の髪を、燭台切は丁寧に指で梳き、堪能した。
「ところで、お前、俺と何がしたいって?」
「え。うーん、ひとまず、二人で遠征にいって、お弁当食べたり、したいかな」
 梅とか眺めてさ。燭台切がそう正直に打ち明けると、長谷部が身体を密着させて、耳もとにくちびるを寄せた。
「へえ。じゃあ、もうこっちはいいんだな」
 ぷっくり育った乳首の感触が、ウエアごしに摺り寄せられる。体と体が密着したとき、さっきまで忘れていた性欲が、一気に、決壊したダムのごとく、濁流となってあふれ出した。それはそれとして、素直な体の反応も、恋の一部だと思えばいい。
「いや、今はこっちがしたい」
 燭台切は、結局正しい使い方をされなかったマットの上に、長谷部の身体を転がした。長谷部は自分の上にのしかかった燭台切の、ぴったり体にフィットするトレーニングウエアを目でなぞり、うっとりと目を細めた。
「……やっぱり、その恰好、……いいな。……でも、ちょっと刺激が強すぎる……。貴様がその恰好を晒して、トレーニングしてると思うと……」
 ム、と彼はくちびるをへの字に曲げた。ずっと、長谷部が強い感情を向けていると思っていた先は、正しくは主ではなく、燭台切光忠の方だった。ぞく、と燭台切の身体の中心を、稲妻のような欲情と、何とも言えぬ満足感が、駆け巡っていった。

 翌日、宗三左文字が荷物をまとめて、部屋を出て行った。主に直談判して、隣がうるさいので替えてくれと頼んだそうだった。平謝りして、菓子折り持って部屋に行ったところ、宗三は「菓子折りでは足りませんね。あなたにやってほしいことがあります」と、燭台切に条件を突き付けた。
 それは、「プリズナー・トレーニング・クラブ」を、誰でも参加ができるよう、主に掛け合うように、という条件だった。なぜ、トレーニングから最も縁遠そうな彼がそんなことを言うのか不思議だったが、彼の弟である小夜左文字および、本丸の多くの〈招集されていない〉刀が、トレーニングに参加したがっていることがあり、この機を逃す手はないと考えたようである。あれは主の性癖の集まりのようなものだから……、と成功率五分五分で見積もっていた燭台切だが、ダメ元で談判した結果、意外な答えを得た。
 構わない。参加自由にする。ガタイは変わらなくても、体つきに変化があると実証されたおかげで、主の目的は、「筋肉質な刀剣の汗だくのトレーニングを見る」ことから、「本丸中を筋肉にする」ということへシフトしたようである。僕は絶対行きませんけど、と、宗三は道場で短刀相手にトレーニング指導をしている山伏を暑苦しそうに見ていた。
「カッカッカ! 指導は、自分にも返ってくるものである。指導すればするほど、拙僧の筋肉にも、それに見合う経験が得られ、成長するというものだ。筋肉は裏切らない!」
 修行仲間が増えて上機嫌の山伏の、力強い演説が聞こえた。道場はやんやの喝采だった。

「で、長谷部くんは行かないのかい」
「フン。必要ない。貴様の個別トレーニングを受ければいいのだからな」
 長谷部は鼻で笑って、燭台切の手元を覗いた。鮮やかな盛り付けの、美しい弁当だ。きれいに薔薇の形に巻かれたハムと、細切りにした卵焼き、菜の花を盛り付けた、「オープンいなり寿司」。従来のいなり寿司と違って、油揚げを開いて、中に酢飯をつめ、飾り付ける、見目鮮やかないなり寿司だ。重箱に盛られたオープンいなり寿司の他、花見をするにはもってこいのおかずが、ぎっしり詰め込まれていた。
「うまそうだ。だが、多すぎないか?」
「……張り切っちゃったんだ」
 ふわ、と揺れた長谷部の髪から、春のうららかな香りがかおった。

   (幕)スペインからの風

 演練会場はその日、何やら騒がしかった。何をあんなに騒いでいるのだろう、と、審神者や男士たちの目が集まっている先を見て、隣で主がはっきり息をのんだ。あたま一つとびぬけた金色の髪。ゆるくウェーブしたくすんだブロンドで、目は甘いヘイゼルだ。顎髭はきれいに整えられているが、肩口から腕にかけてくっきりと彫り込まれているタトゥーはまぶしい薔薇だった。
 どう見ても外国人。その上、聞こえてくるのはスペイン訛りの英語だった。率いている男士たちもみな英語で受け答えしている。主に合わせて対応しているらしく、対戦相手と握手をした歌仙は、普通に日本語で「よろしく」と言っていた。相手の山姥切はぎょっとして、口を開けて固まっている。たぶん、英語を初めて聞いたのだろう。
 完全なバイリンガル男士! それよりも、何年も焦がれたセクシーなスペイン訛りの英語を耳にして、主は完全に放心状態に陥っている。主が言葉を発さなくても、同行していた男士たちにはわかってしまった。
 何百回と聞かされた、あれはまさしく、〈カルロス〉以外の何者でもなかった。

 はじめて演練に来たのだろう。そのいかつい外国人は、それでもやはり異国の、しかも神域で心細いのか、あちこちに目をやっている。呼吸さえ止まっていた主が、隣でびしりと背筋を正して、悲鳴のような声を上げるまで、時間はかからなかった。
「Carlos(カルロス)!」
 主のイントネーションは、想像以上になめらかだった。彼が寡黙なのは、もしかしたら、日本語よりも、英語になじみが深かったからなのかもしれない。それまでは、聞いても機械音声か、カタコトの英語ばかりだったのだろう、呼びかけられたカルロスはすぐに声の方を振り返った。カルロスの方も、声を上げた主がたとえ十歳近く年を重ねていたとしても、見てすぐに誰なのか分かったらしかった。
 彫りが深い、屈強そうな男の顔が、喜びにほころんだとき、なんとなく、燭台切は主の話を疑い半分で聞いていた自分をいさめた。創作交じりの夢物語ではなかったようだ。あの、ほろころぶ笑みを見ればわかる。カルロスは本当に、主のことを心から愛していたらしい! ふたりは往来の真ん中だというのに、駆け寄って、ひっしと抱き合った。頭ふたつ分も小さい主を抱え上げて、カルロスは主の名前を呼んだ。主は自分の真名が大っぴらになろうが構わない様子で、燭台切たちは聞かなかった振りをした。
 
 興奮冷めやらぬまま、英語と日本語入り混じって、二つの本丸の刀剣たちは、ふたりの審神者の物語の結末を知った。主が出所してから、カルロスは無事お勤めを終えて三年後に後を追うように出所した。新しく仕事を探すつもりだったが、彼は一縷の希望にかけて、主が連れていかれた「日本政府」の「時間戦争」とやらをなんとか突き止めようと、必死に追いかけたらしい。そして、彼はついに、日本政府が推し進める時間遡行軍との全面戦争の存在を知り、その上、国力増強を図る政府によって、適正検査を海外にまで広め、志願制の「外国人審神者」の育成が開始されることを嗅ぎつけた。
 彼の執念実り、外国人審神者として最初の本丸を、カルロスが担うことになった。今日はその初めての演練の日。初日に会えるなんて俺はツイている、というような意味のことを言って、カルロスは衆人環視の中、主に熱烈なキスをした。
 スペイン流のキス。なるほどこれが……。燭台切が思わずじっくり観察してしまうほど、そのキスは情熱的で、周囲の審神者たちから、その場の雰囲気に流された大喝采が上がるほどであった。

「主がさんざん言っていた日本人の恋人、とは君たちの主のことだったんだな。たった一人の異国人で、主はあれでかなり不安そうだったんだ。今後もよろしく頼むよ。失礼だが、名前を聞いてもいいかな? うちにはまだ君と同じ個体がいなくて……」
「へし切長谷部だ。以後たのむ」
 相手の主将である歌仙が差し伸べた手に、こちらの主将である長谷部が応じた。その歌仙の後ろから、ずい、と体をねじこんで、現れたのは黒々とした髪の…………、そう、相手の本丸の燭台切光忠だった。
「君が長谷部くん? Guapa(なんてかわいいんだ)! I wanna get to know you better.(君のこと、もっと知りたいな)」
 いきなり話しかけられた長谷部はぽかんと口を開けて、相手を見上げている。燭台切は、グァッパ、というスペイン語がどんな意味かなんて当然知らなかったけれど、身体が勝手に彼らの間に割って入っていた。主が言うのもよくわかる。スペイン訛りの英語、ひいては直球のスペイン語を操る燭台切光忠は、ちょっと反則だと言えた。
「困るよ、君! 試合前だよ」
 厳しく燭台切に睨みつけられ、間に入られても気にした様子もなく、バイリンガルどころかトリリンガルらしい相手の燭台切は、Sorry, チャオ、のあとに熱い投げキスをかまして、楽しそうに去っていった。
「スペイン語勉強しようかな」
 むす、とつぶやいた燭台切に、長谷部はハハハと笑って、
「必要ない。俺は主と違って、スペイン訛りに興味ないからな」
 と、フン、と鼻を鳴らした。
 ディオス・ミーオ! 燭台切は両手をあげて降参した。大好きな相手には、いつだって敵わないものだった。

   〈了〉