騎士像

いつかまた 二人で行こうと
約束しておきながら
私のせいでかなわなかった

私は一人でそこにいる

あの思い出の場所で
あなたを待っている

(Silent Hillより「メアリーからの手紙」)

   (一)騎士像

 あぶないわよう。母の声で、男の子は振り返った。白い墓石の並び立つ、丘の上の広大な墓地は、夜になると恐ろしいのかもしれないが、少年にとっては海を臨む美しい場所だった。怖いと思ったことは一度もない。訪れるのはいつも朝だったし、海から照りかえる日差しを受けて、墓石が白く輝くのも、色とりどりの花々が植えられているのも、どれも少年にはきらきらと優しい輝きに満ちて見えた。
 母につれられて、少年は月に一度、欠かさずここへ来る。少年の父はここに眠っている。生まれてすぐ、まだかれが小さかったころ亡くなった優しい父さんのことを、少年はよく覚えていない。だから父を思って泣いたことはない。無邪気に、父がここに眠っているという事実を受け止めて、母に言われるがまま、墓石の前で「パパ、あのね……」と、今月はどんな楽しみがあったのか、元気に話してみせた。
 そんなかれが、この場所を好む理由はもう一つある。この墓地の一番高い場所にある、立派なお墓だ。まだ難しい字が読めないので、なんと書いてあるのかはわからないし、誰の墓かもわからない。でも、少年はその墓が大好きだった。

 見上げるほど大きな二つの騎士像が、その墓にはあしらわれていた。少年は知らなかったが、このデルカダール王国において、名誉ある最期を遂げた者の墓には、伝統的にこのような華美な装飾が施される。棺にしなだれるように泣き崩れる天使たちや、棺の上に腰掛けて微笑む乙女の像が並ぶ一角は、はじめこそちょっぴり怖かったものの、ひとつひとつの石像の表情を眺めては、なんだか物語の中に入り込んだような、うきうきする気持ちになって、少年は母の掃除の隙を見て、この場所まで駆け上がってくる。
 立派な騎士像が守るその墓には、二人分の名が刻まれている。髪の長い、女の人みたいな端正な顔立ちの像の方を、はじめ少年は女の騎士だと思っていたが、母がその人も男の人だと教えてくれた。傍に立つもう一人はもっと大きくて、ぼくもこれくらい大きくなれるだろうか、と少年はうっとり見上げた。かれらは鎧をしっかりと着込んで、いかにも強そうに、剣をかかげてこちらを見つめている。いつでも誰かが立ち寄って、花を供えているようで、彼らの足元は色とりどりの花でいつも埋もれていた。
 かっこいい。この騎士像は、少年のあこがれだった。騎士の名前を何度も母から聞いたが、むつかしくて覚えていない。ただ、「かっこいい石像」だと記憶している。
 丘を登って、呆れた顔の母が坂道を登ってきた。
「またここに来てたのね」
「ママ、お掃除おわった?」
「終わったわ。ほら、下りてパパにさよならを言いましょうね。でも、その前に……」
 母は少年の手に、二輪の花を持たせた。父の墓前に供えるものとは別に、いつも母は季節の花を二輪買う。
「さあ、ホメロス様とグレイグ様に、お花をあげて」
 母からもらった一輪ずつを、かれらの足元に置いた。何かお話することは? と母が笑うので、少年は、背が2センチも伸びたこと、大嫌いだったガジュの実を食べられるようになったことを、騎士二人に話した。
「パパにも会いに行きましょうね……」
 と、手をつなごうとした母が、はたと立ち止まった。丘を登ってくる、若い男の人に気がついたのだ。さらりと風に靡く淡い色の髪をした、凛々しい男の人だった。
「勇者さま」
 母はかれに会えたことがとても嬉しいようで、両手を差し伸べて握手をし、お会いできて光栄です、と涙ぐみさえした。若いかれは恐縮して、騎士像に花を供えてくれたことを感謝した。少年の方を見て、かれは優しく微笑んだ。なんとなく少年は、かれのことを好ましく思った。
「勇者さま、ちょっとお待ちになって。差し上げたいものがあるの」
「いえ、いえ、そんな……。お気遣いなく」
「いいえ、ぜひお渡ししたいの。マルク、ここで勇者さまと待っていてね」
 うん、わかった。と素直な少年は、〈勇者さま〉と騎士像の前に二人きりになった。勇者さまは、どうやら騎士像のある墓に花を供えにきたようだった。
 勇者さまが、手ずから墓を掃除している間、少年はぽかんとそれを眺めて待っていた。勇者さまは慎重に墓の隙間をぬって、騎士像の鋭い剣の先や、細かい甲冑の間へ水をかけ、きれいに拭いていく。手伝った方がいいかな、と思ったけれど、もじもじして、言えなかった。
 勇者さまから目を逸らして、少年はじっと騎士像を見つめることにした。かっこいい対になった鎧をつけて、この騎士たちはきっとうんと強かったのだろう。魔物も簡単にやっつけちゃうんだろうか。少年は、魔物が一匹現れただけでも大騒ぎになる自分の村のことを考えて、ぼくもこんな騎士になれるかなあ、とつぶやいた。
「この騎士像が好き?」
 少年の呟きを聞いて、勇者さまが笑った。
「うん。かっこいい」
「そうか。……僕もそう思うよ」
 勇者さま、なんて仰々しい呼び方をされているわりに、その若い男の人は、どんないたずらでも許してくれそうな柔和な顔立ちをしていた。肩まで届く髪が、風が吹くたびに揺れている。まだ二十そこそこだろうその人は、丁寧に石像を拭き終えると、騎士たちの足元から、枯れてしまった花だけを選んで取り上げた。
「かっこよかったんだ。本当に。強くて、逞しかった。それに、おっかなかったよ」
 特にこの人は。勇者さまはいたずらっぽい笑みで、長い髪を一つに束ね、皮肉げな目つきで見下ろしている騎士の方をちらりと見て、聞かれたらまずい、というふうに肩をすくめた。
 勇者さまは、まるで彼らが生きていて、ただいまはちょっとした事情があって動けないだけ、というような扱い方をした。彼らの賛辞を述べるときは、「聞いていますか」というふうに声を大きくし、彼らがいかにおっかなかったかを話すときは、声をひそめた。
「ねえ、おにいちゃん、この騎士と会ったことあるの?」
「うん。あるよ」
「へえ~。ぼく、ほんとの人だと思わなかった」
 少年は勇者さまと話すまで、この二人の騎士が実在したとはゆめにも思っていなかった。おとぎ話の戦士にあこがれるように、彼は夢物語の中の人物として彼らを見ていたのだ。
「死んじゃったの?」
「…………うん」
 子供の無邪気な質問に、勇者さまは少し寂しそうな顔をした。少年は、なんだか勇者さまに悪いことをしたような気がして、
「ぼくのパパも死んじゃったんだって。だからパパもここにいるの」
 と、口走った。勇者さまは一層、寂しげなほほえみを深くした。
「僕のパパもそうだったよ。ここではないけれど、遠くで眠ってるんだ」
「じゃあ、ぼくとおんなじだね」
 勇者さまは、伸びてきた雑草をむしったり、溶け切ってしまったキャンドルを取り除いたりして、しばらく掃除に熱中していた。母はなかなか帰ってこない。少年はのんびり騎士像の周りをうろうろして、ぬう、とそびえたつ大きな騎士像を興味深げに眺めている。いまにも、こっちを向き、小さな少年がこちらを見上げている視線に気が付いてくれそうだ。
「ねえ、おにいちゃん、じゃあね、ぼくのパパは騎士さまに会えたかなあ」
 勇者さまは顔をあげ、そして、今度は嬉しそうににかっと笑った。その無邪気な顔を見て、少年は少しだけ彼と仲良くなれたような気がして、うれしくなった。
「きっと会えたよ。この二人は、この国を守っていたんだ。だから、きっと君のパパのことも守ってくれる」
「いいなあ。ぼくも会いたい」
「大丈夫さ。きっと君のことも守ってくれる」
 少年の母がまだ戻ってこないことを、丘の上からのんびり確かめて、勇者さまはすっかりきれいになった墓の前でしばらく祈りをささげたあと、少年に笑いかけた。
 特別に、僕の秘密を教えてあげる。誰にも言わないって約束できる? ……勇者さまにそう言われて、少年は元気よく「うん!」と言った。

 勇者さまは、白い墓石を踏まないように、二人の騎士を称える言葉が刻まれた石碑と、騎士像の間を慎重に通り抜けた。踏まないように、注意しておいで。勇者さまが手招くままに、少年は手を引かれて、切り立った山肌を削って作った白い神殿の壁を背に建つ墓石の後ろへ回った。
 墓石の裏にこんなものがあることを、少年は知らなかった。二人の騎士の名を刻んだ背の高い墓石の後ろには、もう一つの石像があった。墓石にもたれかかるようにして、何を話しているのか、今にも笑い声が聞こえてきそうな仕草で、語らう二人の騎士がひっそりとそこに隠されていた。鎧を解いた格好だと、少しは親しみ深く見える。長い髪がなびくさまも、逞しく角ばった顎の力をゆるめて、口元に笑みをたたえているさまも、まるで生きていた彼らを切り取ったかのようだった。
「いろんな人がひっきりなしに彼らに会いに来るから、表ではああやって鎧を着てはりきっているけれど、たまには二人でおしゃべりもしたいんだ。だからこっそり、ここで二人で話してる。これは、僕と、僕の友達数人しか知らない秘密なんだけど、君が何か力になってほしいとき、ここで彼らに話すといいかもしれない。僕たちの間の秘密だ」
 はあ……、と少年は頬を染め、楽しそうに会話する騎士像を見上げてあんぐり口を開けていた。勇者さまは彼らの前に立って、くしゃりと顔をゆがめ、彼らに向かって話をした。デルカダール王は元気です。マルティナはまた縁談を断りました。……少年は、勇者さまがあれこれ話す間じゅう、騎士像に食い入るように目を向けていた。今にも彼らがこちらを向いて、相槌でも打ちそうに思ったのだ。
 勇者さまと少年が、墓のうしろから出てきたすぐ後に、母が丘を登って来た。わざわざ家に戻ったのだろう。バスケットの中に入っていたのは、たくさんのモモガキだった。家の小さな畑でとれるやつ。このあたりでしか採れない珍しい果実だということは、このときは知らなかった。たまにしか食べさせてくれないのに、あんなにたくさんあげるなんて、と少年はちょっとむすくれていた。

 果物をたくさんもらって、恐縮しながらもバスケットを受け取った。彼が一人で去っていく背中を、少年は丘の上から母に手を引かれて見つめていた。母が、「さあ、パパのところに行きましょうね」と言うまで、夢中になって見つめていた。

   (二)駆けまわる子らよ

 波立つ小麦に囲まれて、イレブンは立ち尽くしている。ショックからではない。悲しみからでも、絶望からでもない。不思議な安堵からだ。必ず彼らはそこにいる、という、確証が彼にあった。そして、その感覚は正しかった。

 小麦畑の一角に、不自然にへこみができていた。イレブンはその前に立っている。ごろん、と転がったふたつの人間の肉体が、魂に置き去りにされて、そこに倒れ込んでいた。脱ぎ捨てられた鎧のように。片方はデルカダールの英雄だった。黒々とした鎧を着こみ、硬く刃物を通さぬはずの鎧の左胸には、銀色の短刀が鋭く突き刺さっていた。
 その隣に寝転んでいる肉体。あるはずのない肉体だ。目の前で塵となり、一度消滅した体が、再びそこに倒れている。彼が来ているのは白い鎧だ。隣に倒れている英雄と、対になるデルカダール・メイルを着て、さっきまで彼らはこの小麦畑を走り回り、はしゃぎ遊んでいた子供のようなほほえみで、麦畑の中央に横たわっていた。魔物に食われたあとも、雨風に晒されたあとも、腐敗したあともない。ただ、そこに倒れている。
「グレイグ」
 かつてともに旅した仲間の肉体を前に、イレブンは声をかけた。つい昨日まで、普段通り笑っていた男が、そこに目を閉じている。短刀を握るホメロスの手の上に、自分の手を重ねたまま、彼は見たこともないような安心した顔でほほ笑んでいる。もう息をしていなかった。
「ホメロス」
 イレブンはまた呼んだ。青白いが、さっきまで熱を持っていたかのようなみずみずしい肉体が、そこにこと切れている。まるでグレイグがここへ来るのを待っていたかのようだった。長い髪が小麦とともに揺れ、閉じた瞼のまつげの上に、朝露がきらめいていた。

 夢を見た。とても生々しい夢だった。イレブンは、自分の胸ほどにまで成長し、密集してざわざわと揺れているバンデルフォンの小麦畑の中で、ぼうっと立ちすくんでいた。
 ザアアアッ、と風に乗って波立っている金色の海の中、ふたりの男が笑っていた。ひとりはうんと背が高い。だから頭ひとつ目立っている。彼の前にいる男は小麦畑と同じ色つやの髪をしていて、腕組みをして立っていた。
 彼らは何か話しながら、水平線の向こうへ沈んでいく夕日に目を細めている。時に笑い、時に真剣な顔で、彼らは長いこと話し込んでいたが、どちらともなく黙りこくった。
 口を開いたのは、デルカダール王国で、英雄と呼ばれる男のほうだった。
 何を言ったのかはわからない。彼の言葉を聞いて、長髪の男は憤慨したように眉を吊り上げた。「嫌だ」とか、「断る」とか、そういうたぐいのことを言ったのだと思う。けれどデルカダールの英雄は頑として動かない。そうだ。彼はそういうところがある。頑固で、取りつく島のないところ。確固たる何かを信じて、決心を固めているとき、彼はああなるのだ。
 それがグレイグという男なのだ。
 デルカダールの英雄、グレイグは、故郷の小麦に囲まれながら、腰に差していた銀色の短刀を、すらりと抜いた。牧歌的な空気に、銀のナイフがツンと浮いている。差し出された短刀を、グレイグの正面にいる男、……デルカダールの軍師であり、グレイグとともに双頭の鷲とされた男、ホメロスは拒絶した。だが、グレイグはその手を取って、短刀の柄に重ねた。
「頼む」
「断る」
 彼らの会話が聞こえたように思った。何度かの押し問答のあと、ホメロスの震える手が、短刀の柄に添えられた。きっと最初から、ホメロスの方も心を決めていたのだろう、と思う。だが一度は断らずにいられない。それがホメロスという男の性格の常だった。
 ホメロスの手に自分の手を重ねて、グレイグは穏やかな顔で笑っていた。短刀は、デルカダールの黒々とした鎧の上をすべり、なめている。グレイグの左胸に切っ先が触れた。
 あ。
 イレブンは声をあげていた。硬い鎧を貫いて、そんな切れ味はないはずの銀の短刀は、グレイグの胸へつきたてられた。刺し貫かれたはずのグレイグは、目を細めて笑っている。ホメロスは信じられぬように短刀を握り、震える手で確かめた。そこに刺さっていることを。痛みに耐えるような顔をしていたホメロスも、どこか悲しそうな微笑みにかわった。
 小麦畑での一部始終の目撃者に、彼ら二人ははじめから気づいていたようだった。ふたりはイレブンを見た。イレブンも彼らを見た。

「お別れだ、イレブンよ」

 何度も近くで聞いた、力強い男の声が、まるで耳元でワッと叫んだように、ぐわんぐわんと響き渡り、小麦畑の中へ、ふたりの男は砂の城が崩れるように倒れた。あとには金色の海が広がるばかりで、イレブンはハッと目を開けた。

 生々しい夢だった。けれど胸騒ぎがした。まだ日が昇り切らない朝のはじまりに、イレブンは家を飛び出し、ルーラを唱えていた。ネルセンの宿屋の近く、あの美しい小麦畑へ。予感、というより、それは確証だった。小麦畑の中に彼らの肉体を見た時、イレブンが感じたのは驚きでも悲しみでもなかった。
「ああ」
 イレブンは、唐突に背後から聞こえた声に、振りかえった。ルーラで飛んできたのだろう。かつてともに旅をした仲間たちがそこに立っていた。小麦畑の中に何があるのかを知って、マルティナが上げた声だった。
「夢じゃなかったのね」
 マルティナは涙をこらえて、くちびるを噛んでいた。朝日がゆっくりと昇ろうとしていた。

 彼らの亡骸を馬に乗せ、かつての旅の一行は、グレイグとホメロスの最後の旅路としてデルカダール王国までの道のりを歩いた。二頭の馬まで、騎士たちの死を悼み、下を向いている。まだ城下町が目を醒ます前の時間で助かった。城下をひっそりと人目を避けて進み、城の敷地へ入ると、デルカダール王は城の前に立っていた。
「行ってしまったのだな」
 王はマルティナと同じようにくちびるを噛み、彼らの肉体を引き取った。王も英雄の死を予感して、王国の英雄たちの帰還を待っていたのだった。
「わしの息子たちだった」

 英雄たちの国葬の夜、イレブンはデルカダール王からグレイグの遺した手紙を受け取った。彼の私室に残されていた手紙を見た時、王はすでに彼の運命を悟っていた。イレブンたちが見た、小麦畑での夢を王も同じように見、そして確信した。マルティナ姫が突然城を飛び出した理由も尋ねなかったし、止めることもしなかった。
 消滅したはずのホメロスの肉体が戻って来た謎を、解明することはやめにした。魔に堕ち、消滅したはずの彼が、グレイグとともに肉体を持って眠ることができるなら、それほど望ましいことがあるだろうか? その事実さえあれば、それだけでいいはずだ。デルカダール王は彼らをともに葬ることに、なんの異論も疑問もなかかった。
 簡素な手紙を差し出して、王は厳格な目つきを幾分かやわらげている。
「この手紙は……、国に宛てた手紙でもあり、わしに宛てた手紙でも、おぬしに宛てた手紙でもある。読む権利があるだろう」
 グレイグらしいことだ。王はそう言い、涙を振り払うように、また厳しい顔をしてみせた。

 手紙に宛て名はなかった。

「国を守る騎士であり、盾である私が、私情を先行させることをお許しください。
 私は長らく国に仕え、個を殺し、そうやって生きることに疑問を抱くこともありませんでした。
 今後も、この体が朽ちるまで、国を守って生きていくのだと、私自身でさえそう信じておりました。
 ですが、私はどうしても、私の本心からの願いを無視することができません。
 最初で最後の、個人的な願いを押し通すことを、どうかお許しください。
 英雄グレイグとしてではなく、一人の、ただのグレイグとしての願いをかなえることをお許しください。」
 
 幾度にもわたり許しを請う手紙を、イレブンは痛々しく読み終わり、小さくたたんだ。デルカダール王は手紙を受け取ると、それを大事にふところへしまった。
「妻を亡くし、息子同然の男をふたりも失うのはあまりにもつらい。だが、それよりも、息子たちがようやく願いをかなえてくれたことを喜ぶべきだろう」
「……幸せそうでした」
 きっぱりと言ったイレブンの言葉に、王は目を上げた。
「幸せそうでした。とても。まるでさっきまで走り回っていたみたいに、子どものような顔をして、彼らはとても幸せそうでした」

   (三)騎士たちは守り続ける

 若い痩身の兵士が、白い墓の前に花を供えて立ち上がった。彼の父である男の墓は、いつも母の手によってきれいに掃除されている。兵士は掃除する母をそこへ置いて、二輪の花を手に、丘を登っていった。母は気づいていない。水をくむのに一生懸命になっていた。
 丘の上には、この地に多大なる貢献をした名高い人々が眠っている。豪奢な墓が並び、多くは女神や天使、うら若き乙女が永い眠りをいやすように墓に寄り添っている。そんな中、立派な二対の墓は、凛々しい騎士像が並び立って守っていた。
 ふっくらと開花したラナンキュラスの花を、一輪ずつ、英雄たちの足元に置いた。多くの人に愛されるこの騎士たちの墓は、いつでも美しく掃除されている。小さなころ、彼はここで〈勇者さま〉に出会った。伝説の勇者さまに会ったことがあるなんて、誰も信じてくれないので、自分の胸だけにしまった秘密になってしまっているが、母だけはその生き証人だ。勇者さまはもうずいぶん前から姿を消していた。

 春。憧れのデルカダール王国の騎士団に入隊した少年は、その勇者さまから教わった秘密の場所へ、そっと体をすべりこませる。
「ホメロスさま、グレイグさま」
 何年と経過したいまでも、少年の決まった習慣だ。墓の後ろへ回って、誰にも見られないように、手早く彼らと話をする。互いに向き合って話し込んでいる騎士二人に割り込むのはちょっと気が引けるが、やはり話しかけると、彼らは今にもこちらを向きそうだった。
「俺、デルカダール騎士団に入隊することになりました」
 あのねえ、ママとけんかしたの。あのねえ、徒競走で一等になったの。……云々、小さなころは、今思い出しても恥ずかしいような打ち明け話ばかりしていたが、デルカダール王国の双頭の鷲がいかなる人物だったかを知った今、若い騎士は彼らの前で背筋を正せるようにまでなっている。尊敬する二人の英雄。背はグレイグ将軍に匹敵するくらい伸びたが、ガタイは全然届かない。頭だけはよくなった。軍師ホメロスの加護があったのかもしれない
「母をよろしくお願いいたします」
 しばらく家を空けることになる。これまでのように頻繁にはここにも来られなくなるだろう。あぶないわよう、と、丘の下から声を張り上げている母をひとり村に残していく不安を、二人の騎士に預けていく。
 墓の裏から抜け出して、青年は丘を登って来た母に駆け寄った。
「またここに来てたのね」
「うん。花も供えたよ」
「パパにご報告はしたの?」
「したさ! 一番先にね」
 母は凛々しい二人の騎士を見上げて、息子をどうぞお守りください、と祈った。あのねえ、母さん、彼らは神様じゃないんだ、願い事をするんじゃなくて、誓いを立てるのさ。生意気にそう言った青年の背中を、母はうふふと笑ってさすった。
「さあ、帰って支度をしましょう。明日は朝早いのよ」
「母さん、桶を持つよ。バスケットも」
 二つの背中が丘を下りていき、見えなくなった。丘の上に涼しい風が吹き、どこからか飛んできた淡い桃色の花びらが、笑い合う騎士像の片方、ホメロスの髪のあたりにひっかかった。その花びらを指でつまみ、ふっと吹き飛ばしたように……、花びらはすぐに離れていった。丘の上に笑い声が響いたような気がして、青年は振り返った。

   〈了〉