あいびき

 小さいころからずっとこの酒場にいたもので、こんな喧嘩は珍しいことじゃァありません。だからわたし、慣れてるんですよ。乱闘騒ぎでこっちに飛んできたボトルを避けるくらい、造作もないことです。
 お客さん、次はボトルですか? よく飲みますねえ。わたしなんかは、ぜんぜんお酒はだめで。下戸なもので、酒場で働いているのが不思議なくらいです。
 どれにしましょう? ああ、これですか。そうです、ノースブルーのお酒です。お客さん、北の生まれですか? 何をなさってる方? ああ、行商。海賊にしては身なりがきれいだし、でも普通の方じゃあないなと思ってたんです。じゃあいろいろ旅をなさってきたんですね。そう、新世界に入る前に、この島は絶対に通る航路のひとつです。こんな小さな島ですけど、新世界に入る人たちがここにはひっきりなしにやってきますよ。もちろん、海賊も海軍も。この町にはうち以外に二つしか酒場がありませんから、だいたいどこにも海賊がいます。だからお客さん、静かに飲みたいなら宿を取って、そこで一人で飲むのが一番いいんです、実は。
 面白い話? そうですねえ。行商でいろいろ世界を見て来なさったお客さんの方が、見聞は広いと思うのですよ。わたしなんか、この島の外には出たことがないし、一日のほとんどをこのカウンターの中で過ごしますから、面白い経験なんてほとんどないんです。
 ええ。わたしは男の人と宿に入ることはありません。だってほら、見ればわかるでしょう。地味だし、そんな風にはとても見えないでしょう? 清楚だとか、そういうことじゃなくて、華がないんです。いえいえ、お世辞はよして。わたし、分かってるんです。ちゃんと。それに、一度言われたことがあるんですよ、面と向かって初対面の人に、お前は商売女じゃねェな、華がねェ、って。
 その人について? いやだ、下世話な話じゃありませんよ。その人は海賊でした。そうですねえ、名前を言えばお客さんは驚かれるでしょうね。震えあがるかもしれません。だってわたしも実際、その方を前にしたとき、震えあがったものですから。……方、というより、方々、と言った方が正しいかな。
 名前ですか? そう、もうこれは時効でしょうから、彼らもわたしがこの話をお客さんにしたことについて、何も言わないでしょうけれど、ねえ、もしそんなことがあったらですけど、お客さんが彼らに出会って、何か話す機会が来たら、わたしがあなたに話したというのは秘密にしておいてくださいね。女は口が軽い生き物だ、って、これも言われたことなんです。そのときはわたしに向かってでは、ありませんでしたけれど。

 じゃあ、最初から話しましょう。わたしはその日、いつものようにこの場所で、乱闘騒ぎを眺めながら、グラスなんかを磨いてぼうっとしていたのですが、突然、騒ぎが止んでざわめいたので、戸口の方を見たんです。わたしみたいな世間知らずでもその人が誰なのかすぐにわかりました。いまや七武海ですが、その時はまだ海賊だった、トラファルガー・ローでした。
 ほんとうですよ。うそじゃありません。彼もこの航路を通ったんです。そして、そう、お客さんが言うように、この「しみったれた」酒場に来たんですよ。やだ、怒ってなんかいませんよ。だってほんとにこの酒場ってちょっとしみったれてますよねえ。うふふ。
 彼は一人でした。クルーを一人も連れないで、ざわめきも無視して、さっさとこのカウンターに……、ええ、あっちの、端です、あのあたりに座って、近くにいたわたしを呼びました。指でこう、ちょいちょいっとやって、なんだか高慢でしたが、わたしはそれに腹を立てるひまもなく、おどおどしながら彼のところへ行きました。
 彼は店にある酒のボトルをちょっと見て、ノースブルーの名産、そう、お客さんがいまちょうど飲んでいる銘柄を頼んで、一杯目は一気に煽ってしまいました。すぐ二杯目を頼んだので、わたしはあわててグラスにお注ぎしましたが、二杯目からは突然、ペースはゆっくりになりました。
 彼は誰かを待っているようにも見えましたが、誰を待つでもない様子でもあって、長い間カウンターで飲んでいました。彼が暴れ出したりしない様子を見て、店主の、ほら、あそこで喧嘩を止めている大柄な男の人ですよ。彼はうちの店の主人です。あの店主はわたしにチョット耳打ちしました。危なくなったらおれが出るから、今はお前が頼むよって。彼が暴れ出さないのを見て、他の海賊たちも恐縮することをやめ、酒場はすぐにもとの大騒ぎになりました。彼、トラファルガー・ローは長い間二杯目のグラスを傾けていましたが、そのうち、三杯目、四杯目といきました。つけあわせに出したナッツは結局手をつけなかったように思います。彼はしばらくねばりましたが、前触れもなく静かに立ち上がりました。
 海賊っていうものは、汚くてうるさくて粗野で、そんなイメージがありますが、彼は少し様相が違いました。まず、結構小奇麗です。たぶん海賊じゃあなかったら、女たちが放っていないだろうという顔立ちでした。そして、何より、彼は静かでした。声を荒げることも暴れることもありません。彼はテーブルに金を置き、そのまま立ち去りました。わたしはなんだか彼が静かすぎて、狐につままれたみたいな気分でした。
 それから、二日後だったかしら、彼がもう一度店に来ました。彼はまた同じ席に座りました。わたしは彼が北の海の名酒を頼んだことを覚えていましたから、同じものでいいですかと聞いてみたんです。彼は笑いました。お前、よく覚えてな、って。
 たくさん客を相手にしているから、そんな細かいこと覚えていないだろうと思っていたんだと思います。もちろん、これが何の変哲もない、盗賊だとか海賊だとかなら、わたしは覚えていなかったでしょうが、まず彼は「死の外科医」と恐れられた有名な海賊だし、また、なにより、このお酒を頼む人がとても珍しいから覚えていたんです。他に並んでいるのは新世界でも見慣れたお酒ばかりでしょう? 北の海の銘柄を頼む人はあまりいません。ただ、店の主人が酒好きで、特にその銘柄が好きなもんですから、わざわざ北の海からカモメ便で取り寄せたり、現地まで行って買い付けたりしているので、この酒場には珍しい銘柄も置いてあるのです。
 この酒にこんなところで出会うとは思ってなかった、と彼は言いました。この辺にはありませんからね、と言うと、しょぼくれた酒場だが酒の趣味はいい、という意味のことをおっしゃりました。話すときもトラファルガー・ローは静かに語りかけるみたいにぼんやり話しました。
 彼はそのあとボトル一本を空にして、また金を置いて立ち去ろうとしましたが、ふと振り返って、わたしに、海賊の「ユースタス・キッド」がこの店に来たかと聞いたんです。
「いいえ、来てません。」
「へえ。まだ来てねェのか。なら、来たらこれを渡してくれ。おれから伝言だ。」
 彼はそう言って、わたしに一枚の紙切れを渡しました。三つに畳んであるだけの簡素な紙切れでしたが、中を見てとんでもないことに巻き込まれても怖いですから、わたしは開けずにポケットに入れました。彼の気迫、みたいなものに気圧されて思わず受け取ってしまったのですが、受け取ってから、ユースタス・キッドがもし本当にこの店に来たとして、彼にわたしから声をかけるなんてとんでもないことだとようやく気が付きました。
 ユースタス・キッドは来たかって? お客さん、そう急かないで。せっかちな男は嫌われますよ。ええ、でもお客さん、あなたの言うとおり、ユースタス・キッドは来ましたよ。この店に。それからさらに二日ほど経ってからのことでした。
 ユースタス・キャプテン・キッド、お客さんもご存知でしょう? サウスの悪魔、あのとんでもない海賊ですよ。一週間に一回は必ず彼のしたことが新聞に載ります。船を何隻沈めたとか、街をいくつ壊したとか、いろいろ。わたしも彼の悪評だけは山ほど知っていました。真っ赤な髪にあの強面、今思い出しても震えがきます。でも、ええ、そうです、わたし、彼と話しました。
 彼は例によって三つしか酒場の選択肢がないこの島に停泊し、三つのうちから最初にうちを選んだようでした。どれも何の変哲もない酒場なので、どの酒場でもよかったのだと思います。彼はトラファルガー・ローと違って、最初の日はクルーを大勢つれてきました。店をほとんど貸し切って、他の海賊たちは彼のために席をあけさせられました。店主もわたしもおびえきっていましたが、店主がどれだけ海賊相手に喧嘩してきた歴戦の男だといっても、ユースタス・キッドにはかないません。空気が凍るんです、彼がいると。そう、恐怖で凍るんです。
 でもわたし、トラファルガー・ローに渡されたものを彼に届けないまま約束を反故にすることも怖かった。だって、渡していないとばれたとき、トラファルガー・ローが散々新聞に書きたてられているように、血を根こそぎ抜かれたり、心臓を握りつぶされたり、そんなことされたくなかったんですもの。だから、わたし、店主が止めるのも無視して、勇気を出して行きました。彼はうちで一番いい、あの赤いチンツ張りのソファ……、ええ、あの奥のです。あれにどんと座って、部下を従えて楽しそうに笑っていました。
 わたしが近づくと、部下たちが最初にわたしを怪訝そうな目で見ました。わたしは殺気が肌を刺すっていうのを、初めて身を持って経験しました。ちりちり、するんです。空気が尖って、恐ろしいくらい。
 キャプテン・キッドはわたしに気が付いて、あのソファに王様のようにふんぞり返ったまま、ちょっとシニカルにくちびるの端を持ち上げると、なんだ、おれで稼ぎてェのか、と聞いてきました。わたしは商売女と間違われているのだと気付いて、いいえ、わたしただのバーテンです、と答えたんです。
 ギャルソンのエプロンに、地味なシャツとパンツ姿の、髪をひっつめたわたしみたいな女が商売女なわけがないと分かった上で言っていたのでしょうか、バカ正直に答えたわたしを、口を大きく開けてわらって、確かにてめェは商売女じゃァねェな、華がねェ、と遠慮なくそう言いました。
 でも、お客さん。不思議なことに、ぜんぜん手ひどい感じはなかったんです。ただ、当たり前に感じたことを、あっけらかんと言っているかんじがして、わたしも気分は悪くなりませんでした。むしろ、チョット話しやすさすら感じて、いよいよポケットに入れた紙切れを取り出しました。彼はわたしが紙切れを取り出したときにはもう承知したという顔をしていました。
「これ、トラファルガー・ローからです」
 あとで教えてもらったのですが、彼ら、そうやって連絡を取り続けていたそうでした。同じ島に居合わせることは少ないらしいのですが、連絡を取るとき、電伝虫なんかを使うと盗聴の危険性があるし、慎重に場所を選んで会わないと、やれ密談だと同盟だったり何かの集会だったりというものを疑われ、すぐ海軍やその他の勢力に嗅ぎつけられるんだそうです。彼ら二人が言っていたことですので、本当でしょうね。海賊の世界もむつかしいようです。だから彼ら二人は、二人で会う約束をするとき、カモメ便や電伝虫を使わずに、誰か第三者の手を介して間接的に連絡を取っているのだそうです。
 わたしが海軍に秘密を漏らす危険もあるだろうに、と一度訪ねたのですが、トラファルガー・ローは、わたしに、直感が一番信用できる武器だ、と言いました。見たときにわかるそうです、自分たちのことをきちんと「放っておいてくれる」人間かどうかが。わたしは彼らに深入りせず干渉しない女だと一度目で見抜かれていたようでした。
「そして何より、てめェは気が利いてる。物覚えもいい。」
 トラファルガー・ローはわたしにそう言ってくれましたよ。わたし、そんなこと言われたのは初めてで、素直にとてもうれしかったのを覚えています。わたしって、よくトロくさいとか、気が利かないとか言われるものですから。
 彼ら二人が会っていた理由ですか? もうすぐわかりますよ。
 彼らはわたしを介して何度か連絡を取り合いました。この島のログがたまるのがおよそ三週間ですから、そのくらいの期間、ここに滞在していたように思います。キャプテン・キッドは最初の日だけクルーを連れて、それ以外はずっとトラファルガー・ローと同じように一人で店にやってきました。彼らは決して二人一緒に店には来ませんでした。
 片方が渡してきた紙切れを、わたしがもう片方に渡し返す。彼らは交互に店にやってきたので、ほとんど文通でもしているような様子でした。わたしは決して中を見るまいとしていましたが、彼らは中を見られても困らないという態度をしていました。実際、彼らにとっては本当に中を見られたって困らないようなものだったんです。
 ええ、実は、わたし、一度だけ中を見たんです。見た、というより、見えた、が近いかな。あのときはキャプテン・キッドの方でした。彼はトラファルガー・ローがいつも同じ端の席に座るのとは違って、わたしの前に来るようにいつも座りました。そして彼はトラファルガー・ローと違ってなにくれとよく話をしてくれました。彼の話はたいていちょっと斜に構えた感じでしたが、わたしをカウンターに見つけては紙切れを受け取り、もしくは紙切れを渡し、酒に飽きるまでわたし相手に話をしました。
 彼が渡してきた紙切れを、一度取り落したのです。木目の床に落ちた紙切れは、中がまるごと見えてしまっていました。トラファルガー・ローはきちんとした性格らしく、紙切れを三つに畳んで中が見えないように折るのですが、キャプテン・キッドはおおざっぱな性格らしく、いつも二つに折っただけでした。中には明日の日付と時刻、それから「なべぞこ亭」と書いてありました。「なべぞこ亭」、ご存知ですか? ここから少し行ったところですよ、連れ込み宿の名前です。ふつうのモーテルなんですが、ほとんど連れ込み宿の役割をしています。娼婦もいますし、人目を忍んだあいびきにはもってこいです。あいびきなんて、下品ですって? お客さん、酒場の女なんてこんなものですよ。あけすけなんです。
 彼らは「なべぞこ亭」をはじめとして、この島にぽつぽつ存在する宿で密会をしているようでした。ポケットにしまいこんで、次にトラファルガー・ローにそのメモを渡すまで、わたしの頭から「なべぞこ亭」のことが離れませんでした。

 三週間、気をつけて密会していたといっても、それでも何か不穏なにおいをかぎつけられたのか、それとも二組の大物海賊が集っていることを恐れて、誰かが通報したのか。彼らが来てから二週間ほど経って島に海軍が寄港しました。といって、大々的に海賊を捕まえるためではなく、燃料の補給のついで、という感じでしたが、彼らはこの酒場にもやってきました。店主やうちの商売女たちにもいろいろ聞きこんだようですが、何も得るところなくわたしのところにもやってきました。
「ユースタス・キャプテン・キッドとトラファルガー・ローがよくこの酒場に来てるそうだが、何か企んでいる様子はないか? 二人で話し合っているとか……」
「いいえ、特に。」
 わたし、まるで息をするように嘘をつきました。とっさだったんです。だって、彼ら、何も悪いことなんてしていないように思いましたし、なんだか、情が湧いたというか。初めは震えあがるくらい怖かった海賊の二人が、思いのほか静かで、それから思いのほか「海賊らしからぬ」人間くささみたいなものを持っていたので、わたし、肩を持ったんです、彼らの。
 海軍が姿を消してから、酒場にまたトラファルガー・ローが現れました。彼は酒を一口飲まないうちに、ここに海軍が来ただろう。お前はやつらに情報を渡さなかったらしいな。悪ィ。よけいな気を回させた。そう、言ってきたんです。
 ね。信じられないでしょう? お客さんも、そう思いますよね。わたしだって、信じられなかった。たかだか一人の酒場の女に、彼はなんの棘もない。彼が新聞で書きたてられていることや、彼の首にかかっている賞金、彼が海賊であること、すべて嘘のような気持すらしました。情報を漏らしたら血も涙もなく殺す、そんな感じがするでしょう? でも、違ったんです。
 次の日に来たキャプテン・キッドも、同じでした。でも彼はちょっと違っていました。彼はいつものように何事もなく酒を飲んだあと、カウンターにお代を置いて帰ろうとしながら、わたしの肩をぐいとつかんで声を潜めました。わたしはびっくりして、彼のその筋骨隆々とした腕に恐縮するばかりでした。
「おれたちとてめェは共犯だな」
 彼は楽しそうに笑って、片手を挙げて出て行ってしまいました。本当にまばたきするくらいの間の出来事でしたが、わたし、しばらくしてからばくばくしたものです。ああいう、有名な海賊が持っている覇気っていうものは、時間まで止めるんです。あれは、実際会ってみないとわからない。

 お客さん、まだ飲めるんですか? 本当に強いですね。じゃあもう一杯。これはおすすめなんですよ。といって、お酒の飲めない女のおすすめなんてあんまり頼りにならないですが、でも、これはキャプテン・キッドもトラファルガー・ローも気に入ったと言っていました。これは、うちの、自家製です。うふふ。店主が作っているんです、あの人、お酒は本当に凝り性ですから。
 ああ、よかった。お口に合いましたか。ええ、そう、それラム酒です。ただのラム酒なんですよ、本当に。でも、水がいいのか何がいいのか、うちのはとんでもなくおいしいそうです。前に来た海賊にもそう言われました、あの人はもういまや四皇ですが、赤髪のシャンクス。うそじゃないですよ! 本当です。あの人もとても海賊とは思えないような人でした。陽気で、優しい人でした。クルーの方たちも、なんというか、陽気なのに、それでいて聡明なのです。
 
 話がチョット逸れちゃいましたね。二人がどういう関係なのか、わたしが知ったのはもうちょっと後になります。「なべぞこ亭」であいびきしている時点で気付くだろうって、お客さん、わたしこう見えてうぶですよ。ただの密会だと思ってたんです、当時は本当に。
 うちにも商売女が何人かいます。お抱えってわけじゃないですが、店で客を引いていく女たちです。彼女らはうんと派手で、飾り立てているのですが、中身はふつうの女です。わたしは彼女らのように店の表には立たないので、あまり話すことはないのですが、彼女らはみんなただの優しい女たちです。ただ、世間に疲れて、セックスにつかれて、お金に少しがめついだけ。彼女も生きていくためですから、相手は選びません。でも彼女らはたいてい海賊が嫌いでした。お金はたくさん落とすけど、乱暴だし、殺される危険性もあるし、その上汚い。あたし海賊ってホントにまっぴら。羽振りの悪いのに当たったら最低だし、とこぼしていた、ほら、あそこにいる金髪の子。あの子、美人でしょう? うちで一番美人な子です。あの子、わたし相手に開店前、お酒を飲んで愚痴を言うときはそんなこと言って海賊をこき下ろしていたんですが、ある日、開店の準備をしていたとき、他の娼婦たちと盛り上がっていたんです。
 キャプテン・キッドと寝たそうでした。そして、彼女は大嫌いな海賊が相手だったこともうっちゃって、「最高だった」「金も信じられないくらい持ってる」「その上超絶、うまかった」「何回イったか覚えてない」……とか、ねえ、わたしにはかなり言いにくいことまで言っていました。わたし聞こえないふりをするのが精いっぱいで。そりゃ、キャプテン・キッドだって女を抱くでしょうけれど、なんだか、「おれたちとてめェは共犯だな」とわたしに言ってきたときの、こどもみたいな無邪気ないたずら顔を知っていると、壮絶な違和感がありました。彼女が他の娼婦たちに、キャプテン・キッドの性技について一から十まで話すものですから、わたし、いたたまれなくなって厨房に逃げ込みました。彼が店に来ると必ず娼婦たちが彼にしなだれかかるようになったのもこのときからです。
 娼婦たちが彼のうわさをした日の夜に、トラファルガー・ローが店にやってきました。彼もよく娼婦たちにひっかけられていますが、歯牙にもかけないのですがすがしいほどでした。彼はその日、いつも通り酒を飲んでから、わたしに尋ねました。なァ、ユースタス屋がこの店の女と寝ただろ?
 わたし、黙っておこうと思ったんですけど、思わず顔が赤くなってしまって。あの会話を思い出したものですから。そしたら、聡いトラファルガー・ローは全部わかったという顔で、危なげな顔つきで笑って、なるほど、分かった。とそう言いました。
「お前、隠し事が下手だな」
 トラファルガー・ローはそう笑って、わたしに渡した紙切れをわたしから取り返し、引っ込めてしまいました。あれは彼らが出航するちょうど五日ほど前だったと思います。それから連続して、来る日も来る日もトラファルガー・ローからの手紙が来ないので、キャプテン・キッドはついにトラファルガー・ローがどうして怒っているのかを知ったようでした。ええ。彼、トラファルガー・ローは、怒っていたんです。ぜんぜんそんな風には見えなかったんですが、彼はものすごく腹を立てていたようでした。キャプテン・キッドはわたしが彼にばらしてしまった(というかバレてしまった)ことを知って、苦い顔をしました。てめェ、あいつに言ったのか、と叱られて拗ねている子どもみたいな顔でわたしを咎めましたが、わたしは、言ってませんが、ばれてしまいました、と正直にそう言いました。
 それから細かいところはどうなったのか、わたしは知りませんが、出航の日でしょうか、もう酒場が閉まったあとの午前五時、彼らははじめて二人一緒に店に現れました。
 店主にあとから聞いたところ、閉店後の一時間だけ、店を貸してくれとキャプテン・キッドに言われたそうです。それで、朝五時の、わたしがモップ掛けをしている時間に彼らは店にやってきました。わたし以外の人間を、その時間は店から追い出せとも言われていたそうです。
 わたしはこんな時間に人が来るとは思っていませんでしたから、もう閉店ですよ、と慌てましたが、彼らはいつものカウンターに座って、一時間くらい相手をしろよ、掃除なんかあとでいい、とわたしをせっつきました。そして、例のラム酒を出してくれと言ったのです。うまい酒を二人で飲みたいからと言って。
 彼らは静かに、ラム酒を飲みながら、次はどっちの航路に行くとか、どのあたりで何をするとか、話していました。次の航路をふたりで決めているわけではなさそうでした。次に会うのはまた一年後か、それ以上か、とトラファルガー・ローがぽつりと言ったときも、キャプテン・キッドは「そうだな」と簡単に返事をするばかりでした。
 彼らが一時間、おそらく宿で二人一緒に眠ったあとに、この店でヒマつぶしをしていく間、わたしはカウンターに立って、彼らの会話を聞いていました。彼らは一時間すると立ち上がって、それぞれ、こんな酒にはこの先出会えねェだろうから、と言って、ラム酒を樽ごと一つずつ買っていきました。そして、長い間つきあってくれた礼だと言って、キャプテン・キッドがチップを出そうとしたのですが、彼はもう手元に現金を持っていませんでした。
 彼は普段、あまり現金を持ち歩かないそうです。略奪を生業にしているのですから、そうでしょう。島に上がっても酒や女を買うためにすっからかんにしてしまうので、今回もそうでした。トラファルガー・ローの方もラム酒の樽を買ったせいで数ベリーしか持ち合わせがなく、わたしは、チップを断ったのですが、キャプテン・キッドは彼らしいプライドの高さで、一度出すと言ってやっぱり金がねェから出せません、じゃァ恰好がつかねェ、とあくまでも筋を通しました。彼は腕につけていた金の腕輪をひとつ外してカウンターに置きました。宝石がはまったそれは、どう考えてもチップには多すぎますし、この店がまるごと二つは買えるくらいの値段になりそうでした。彼に倣って、なるほどその手があったな、とトラファルガー・ローもごそごそコートを探っていたかと思うと、古びた懐中時計を取り出しました。これはたいそうな骨董らしく、懐中時計についている鎖だけでも大変な値段だと知り合いの骨董屋がヨダレを垂らしてうらやましがりました。
 お金のために協力したんじゃありません、と、わたし、彼らにすがって言ったんです。彼らはもう店から出ようとしていたところでしたが、思わず声を張り上げてしまいました。彼らは振り返って、わたしを見て笑い、
「楽しかった」
「ありがとよ」
 そう言って、分かっている、という風に頷きました。

 わたし、まだその腕輪と時計を持ってます。到底売れません、これは思い出ですから。わたしの話はこのぐらいにして、ねえ、商人さん、さっきの話をしてくださいよ。空に島があるとか、言っていたでしょう? ねえってば、お客さん。

 終(2014.11/24)